- 名前
- satomin
- 性別
- ♀
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- 恥ずかしいことが嬉しい
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
・・・離婚後の私
2013年04月09日 21:49
ただ今って、実家へ戻ると、母はただ「お帰り」って言っただけでした。
そのまま二階へ上がって、化粧ボックスからバイブを取り出し、着ていたものを全部脱いで始めてしまったんです。
「お義父さん、お義母さん、そちらの家で、これさえさせてくれていたら、こんな事にはならなかったかも知れないのに・・・」なんて思いながら、何度も何度もいきました。
今から思い返すと、階下の母には、わたしの嬌声や喘ぎ声は聞こえていたことでしょう。
何度かいった後で、全裸であぐらの恰好でボーっとしていると、母が階段を上がってきて「お昼食べようか・・」とだけ言うと、また下へ降りていきました。
そのとき、お義母さんが朝言った一言を思い出しました。「お昼はこの家で食べないで出て行ってください」
あーそうなんだ、この3、4時間のうちに私は後戻りできない国境のようなものを超えてしまっていたんだって思いました。
でも、後悔とか未練とか、そういう気持ちはありませんでした。 カゴの鳥はまた放されたんです。
そして月曜日の朝、会社を辞める電話を掛けました。 すると、事情を知った副社長はその日のお昼頃実家へやってきて「すまなかった、でも会社は辞めないでもらえないかな」って言いました。
このとき母は、私たちが近親相姦の関係になっていたことが分かった筈ですが、何も言いませんでした。
副社長も奥様とひと悶着あったようですが、離婚までには至りませんでした。男性と女性の不倫って不公平ですね。
会社に行っても居辛いだろうっと思って、結局、会社はそのまま退職しました。
結婚して2年ほど、その会社で働いたのは半年ほど、そして副社長との不倫関係は2ケ月もなかったんですけど。
歯医者さんの家を追い出されて、1週間後くらいに、頼まれたっていう人が離婚届の用紙と、また分厚い封筒を持って来ました。封筒の中には、手紙が入っていて、「荷物は全部処分しました。お金を少しいれておきます。これでまた買いなおしてください」とだけ書かれた手紙が入っていました。
法律的な離婚は、離婚届が市役所に出されたその日でした。離婚の原因ははっきりしているので、家庭裁判所とか調停とか、そういったことは一切無しでした。
実家でプー太郎な日々が始まりました。 わたしはパンツ1枚にキャミソール1枚着ただけの恰好で家にいました。
父親、母、わたしの3人で朝食を食べます。父親は相変わらず、駅弁の売れ残りを食べています。まだ、この頃駅弁売りをしていました。
キャミソール1枚の私は、胸の形や乳首なんかも透けて見えてると思いましたが、父親は、そういうこと全く気にしない人でした。 私がなんで家にいるのかも全く気にならない様子でした。
子供のころから、父親からは怒られたこともなく、甘えたこともなくて育ちました。
朝ごはんを食べ終わると、父親は駅弁売りに出かけていきます。母は、もう添削の仕事は辞めていて、本や新聞を読んだり家事をしたりしていました。
私は二階へ上がって、オナニーを始めました。 それしかやることがなかったから。
いろいろな現実の思い出や想像の出来事を思い浮かべてしたりもしました。それって「おかず」っていうんですね。
「おかず」はたくさんありました。アハ
小中学生のころの銭湯の同級生への露出体験。東京での学生やOL時代の風俗経験やエッチなお店のこと。
結婚してから海辺の松林で下半身丸出しにしてバイブオナニーをしたこと・・・・。
副社長とのいとしいひと時。
あるいは、お義父さんお義母さんが妄想で出てきて、二人の前で、バイブオナニーをして、これをさせてくれなきゃこの家を出ていきますから・・・って言いながら。
外出するのは、コンビニへ行ったり、例の駐車場を見に行ったりするくらいでした。
コンビニは、私の実家から歩いていける範囲では、商店街の北の方、南の方、そして駅前の3軒でした。日替わりで順番に回ったりして、ちょっとしたものを買い物しました。 コンドームです。コンドーム1箱だけレジにポンって出すと、若い男の子の店員さんだと、私をチラっと見るんです。 それが、ちょっぴり私のM感性を刺激するんです。アハ
家に帰って、中身を箱から出して、自分の人差し指と中指に被せます。そしてアソコに・・・。坊やの店員さんを思い出して、坊やの売ってくれたコンドームでお姉さん、今ひとりエッチして遊んでるのよーなんて妄想するんです。馬鹿みたいでしょう。
この街には、アダルトショップもなぁーんにも無いんです。
そんな感じで2ヶ月近くプー太郎してたとき、ふと「東京へ帰ろう」って思ったんです。この街は私が生まれて育った街だけど、もうなんにも無いやって思ったんです。
東京には住むマンションやアパートなど私の住むところは、もうありませんが、行ってこれからまた探せばいいや、仕事も探そう、仕事やアパートが見つかるまでビジネスホテルにでもいて、風俗ででも働けばいいやって思ったんです。
翌日、スーツケースに適当に荷物を詰めて、母に「行ってきます」っていうと、「行ってらっしゃい、いつでもまた好きなときに帰ってきたらいいからね」って言ってくれました。
駅へ行き、ホームへ行くと、父親が台車に載せた駅弁を売っていました。「一個ちょうだい」と言って1万円札をだすと、きちんと9千円のお釣りをくれました。 分かってるのかな?
普通のお父さんだったらお金はいらないよって言うと思うんです。 なぜか、そのとき涙が出そうになりました。
特急電車がきたので、それに乗りました。約1時間半で東京の○○駅です。
駅の近くのビジネスホテルに入って「泊まれますか」って聞くと「泊まれます」 まだチェックインは出来ない時刻だったので、とりあえず3泊分のお金を払って、スーツケースを預けました。
そして電話をしてみました。電話の先は、熟女専門っていうヘルス。もう熟女っていう年齢だろうなって思って。そのお店は○○駅から山手線に乗って○個めの駅にあります。 昨晩、ネットでいろいろと調べてメモしておいたです。
すぐに行きますって返事をして電話を切りました。 店にいくと早速面接でした。離婚して田舎にいてもすることがないので東京で、本格的な仕事と住む所を探したい、それまでヘルスでバイトをしたいんですって、ある程度のことを正直に話しました。 ある程度・・・やや事実と異なるところはありますが、まあ大嘘ってことはありませんから・・。アハ
「ヘルスの経験はありますか?」って聞かれたので、学生のころバイトでしましたって答えました。その日数までは答えませんでした。
「では、だいたいどういうことするか分かりますね?」 「はい」
「じゃあ、今日から仕事できますか?」 「はい」
「名前は・・・えっと」と手帳を見て、「リナちゃんね」 ということで、私はリナちゃんになりました。
そして、コスチュームを渡されて、「向こうのカーテンのところで着替えてきてね、着替えたら、そこのソファで待機してて、テレビ見たり雑誌もそこにあるから、それ見ててね、テレビのボリュームは小さめにね」って。 あれれ、コーチとか講習とか、裸のチェックとか・・・そういうのは無し? ちょっと拍子抜けしてしまいました。 講習って、ちょっぴり期待したりもしていたんですけどね・・・アハ。
30分ほど待機していると、お一人お客さんが帰っていったようで、私と同じくらいの女性が個室から戻ってきました。私を見て「新人さん? こんにちは、よろしくね」とだけ挨拶して、あとはおしゃべりもなく、ただテレビを見ていました。
すると、お客さんがやってきたようで、リナちゃん付いてみる?って聞かれたので、「はい」って答えました。
とまた文章が長くなってきちゃいましたね。
まあ、そんな感じです。 2週間後くらいに頼んでいた不動産屋さんから、アパートが見つかって連絡があって、ビジネスホテルからアパートへ移りました。
ネットで検索して、人材募集の会社を見つけて電話したら、履歴書と最終学歴の卒業証明書を送ってくださいと言われ、送ると、数日後に面接試験を受けることになって、面接では結婚前に働いていた会社での仕事の内容を説明して、あとは性格の不一致で離婚したので、また東京で働いてみたくなりましたっていう感じの説明をしたら、次の月の始めから働くことになったんです。 それが今の会社です。
ですから、そのとき熟女ヘルスで働いたのは、東京に出てきて、就職が決まるまでの2ヶ月間。もちろんアパートへ引っ越す日とか、ガスや電気を付けに来る日とか、会社の面接日とかは休みにしてもらいましたけれどね。お相手した男性は、そうですね、ざっと百人は超えました。私のファンになって、何度か通ってくれた方もいました。そういうのって嬉しいものですね。
学生のときは4日間でダメだったのですが、熟女ヘルスは私に向いてるのかなとも思いました。・・・アハ
このウラログへのコメント
はじめまして。
いろいろあったんですね。全部ではないけど読ませてもらいました!
よろしくです^^v
コメントを書く