- 名前
- satomin
- 性別
- ♀
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- 恥ずかしいことが嬉しい
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父親のこと
2013年04月02日 21:27
やっぱり私は父の子ではありませんでした。
中学くらいの頃から違和感を感じていたんです。
母と父はお正月が過ぎてすぐの寒い時期に結婚式を挙げたって聞いています。 わたしは蟹座生まれ・・。 計算が合わないですよね。
できちゃった婚もありますが、母と父の場合はそんな筈はあり得ないって、ずっと思っていたんです。
結婚して夫婦になって赤ちゃんが生まれて届け出をすれば夫婦の実子になるんですね。学校へ入学するときなどに提出する戸籍謄本には実子となっていたのですけれど、ずっと違和感を感じていたんです。
とういのは、私の母は県内にある国立大学の教育学部を出て小学校の教師になりました。父は、じつは少し軽度の知的障害者なんです。
何もしゃべらずにじっと立っていれば、顔立ちは俳優の川津祐介に似ていて、それなりイケメンかも知れませんが、そんな母と父が出会って、できちゃった婚なんてありえない・・・ずっと違和感を感じていたとおりでした。
父のまた父親と母親(本来なら私のおじいちゃん、おばあちゃんですよね)の時代は、商店街の一角で草履屋さんをしていたのですが、父には商売を任せられないということで店をたたみました。 そして一階部分を居間と台所に改装してふつうの家になりました。階段の格子から居間が見えるのは草履屋さんをしていた頃の名残です。
父は、駅前にあるホテルの従業員で、ずっと弁当売りをしていました。ホテルは結婚式場や宴会場もある大きなホテルで、そこのレストランが駅弁も作っていて、父はその駅弁の販売専門でした。
母と結婚したころには、もうおじいちゃん、おばあちゃんも亡くなっていて、父はこの家で一人暮らしでした。
わたしが幼いころ、小学校のころ、中学、高校のころ、ほんとうに死ぬ間際まで・・・ずっと駅弁売りでした。駅のホームで特急電車が止まるたびに台車に載せてる弁当を売っているんです。
駅弁はお昼時と夕方くらいしか売れませんから、父の朝は遅くて、わたしが学校へ出かける方が早かったです。
夜はだいたい8時ころに帰ってきました。 いつも売れ残りの弁当を二つ持って帰ってきて、夕食に1個、翌日の朝1個食べるのです。 私と母は、母の作ったご飯を食べているのに、父は勿体ないからって、毎日毎日朝も夜も売れ残りの弁当ばかり食べていました。 小学生のころから、何か変わってるなって思っていました。
毎日毎日働いていました。休日なんて、ほとんどありませんでした。むしろ土日とか連休の方が駅弁がよく売れて忙しかったんでしょう。
忙しかったとしても、1日に数百円のお弁当が、せいぜい30個も売れるでしょうか。 それで、どう考えても1か月の給料は・・・。 母は通信添削の内職ですが、二人合わせての収入は・・・。今から思えば家計が合わないのが分かるのですが、高校生になっても家計のことまではわかりませんでした。
というのは、私には、貧乏な暮らしをしていた記憶は全く無いんです。
季節の変わり目ごとに駅前にあったデパートで新しい服を買ってもらっていました。 小学生のころピアノを買ってもらい中学のころまでピアノを習っていました。 お友達の家に遊びにいくときは、お友達の分のおやつも持っていっていました。高校の夏休みには、1か月間イギリスでホームスティして英語を勉強する留学もしました。
お友達が行くっていうので、私も行きたいというと、行ってきなさいって。 高1と高2の夏休み、2回留学しました。
留学とはいってもお金さえ出せば誰でもいけるものですけれど。
でも、そのお金を出すとは言っても百万円くらいしてたんです。 当時、わたしは何も思いませんでしたが、留学する友達の家は、お医者さんの子供だったりとかだったんです。 留学先は、ニュージーランド、オーストラリア、イギリスなどがあって、ニュージーランドやオーストラリアは五十万円くらいから、イギリスは百万円くらいでした。
お医者さんの子供のお友達に合わせて、高い方のイギリス留学。 今から思えば、おかしいですよね。
大学は東京のKOのB学部でしたが、いわゆる下宿ではなくて、2Kの賃貸マンションを借りてくれたんです。
大学生になっても、家の家計の不思議さには気づきませんでした。
2年ほどまでに父は倒れて入院していて、昨年亡くなりました。
親戚とはほとんど付き合いは無かったのですけれど、葬式のときに、父方の親戚の人から、母はお礼を言われたそうです。 家族のまねごとができたから、あの子(父のこと)も幸せだったよ、ありがとうね、と言われたそうです。
わたしは、もっと突っ込んだことを母に聞きました。「父とはセックスをしていたの?」
「それがね、一度もしたことがないのよ。何十年も一緒に暮らしていたのにね。一度もないの。それなのに、あなたの事、ほんとうの子供って思っていたのよ。 あの人は一生童貞だったのよ。今思うと、一度くらいしてあげれば良かったって思うの。 夜お布団にはいるとね、ときどき自分で自慰をしてるの。溜まってくるとやっぱり我慢できないのね。でも、わたしが隣にいるのに一人で自慰するだけなの。たぶん、男女でするセックスを知らなかったんだって思うの。だからしてあげれば良かった。自慰してるのに気づくとね、わたし、指でしてあげたの。それだけ、何十回、何百回か指でしてあげけど。セックスしてあげれば良かった。」
それが、わたしの父親。 でも実の父親は別にいたんです。
このウラログへのコメント
おはよう御座います
人生には色々とありますょね…
まぁ…血は水よりも濃いですし
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