- 名前
- satomin
- 性別
- ♀
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- 恥ずかしいことが嬉しい
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母のこと
2013年04月03日 20:20
もう一度、母のことです。
その前に一昨日「楽しみ楽しみ・・・」なんて失礼なコメントした人、コメント削除して拒否リストにいれちゃいました。
さて、子供のころの私の目に映った母の姿から書きましょう。
母は通信添削の内職をしていました。ドサッと分厚い封筒が月に2,3回届きます。
中には通信添削を受講している子供たちの解答用紙がたくさん入っています。 それを赤ペンで綺麗な文字で添削して、よく出来ましたとか、もっと頑張りましょうとかコメントも書いていくんです。添削が終わると分厚い封筒に入れて添削会社へ送り返していました。個々の子供たちへの返送は、その会社が行うんです。
居間で座卓に向かって正座して、背筋をピンとして赤ペンで添削している母の姿は、凛々しくって好きでした。
でも、ときどき変なことっていうか、素敵なことっていうか、なんて表現したらいいのか分からない行動をする母の姿を覗き見しました。
子供の私には、変なこと、素敵なこと、綺麗、美しい、汚い、自分もやってみたい・・・ほんとに何て表現すればいいのか分からなかった事です。
それは、今なら一言で言えること。セックスとオナニーです。
学校から帰って、座卓に向かって正座して添削をしている母の姿を見て、遊びに行ってきますって出かけて、でも友達が留守だったので、すぐに家に帰ってきたとき、ただいまって言わずにそーっと家に入っていくと、母は座卓のところで脚を前にピンと伸ばしていて、パンツが太ももまで下がっていて、自分のお股をさすっていたんです。
昼からの授業が先生の都合で急に無くなってしまって、家へ帰ってもよいことになったとき、そのときも「ただいま」って言わずにそーっと家に入っていくと、クリーニング屋のおじさんと「おしくらまんじゅうごっこ」をしていました。
「おしくらまんじゅうごっこ」っていうのは子供の私が頭の中で勝手に命名したものです。
自分で勝手に命名するくらいですから、その「おしくらまんじゅうごっこ」は何度か見たんです。
「おしくらまんじゅうごっこ」は、クリーニング屋、酒屋、米屋のおじさんがお相手でした。ときどき電気屋さんがお相手のときもありました。
わたしが子供のころは、御用聞きで、クリーニングもお米も家まで取りに来たり配達に来てくれていたんです。
我が家は父が全くお酒を飲まない人だったので、酒屋さんはお酒ではなくて味噌や醤油を届けてくれていました。
「おしくらまんじゅうごっこ」を初めて見たのは、わたしが保育園に入る前のころ、新しいテレビの取り付けにきてくれた電気屋さん。屋根に上って、アンテナを直したり、電線を取り替えたりしていました。
母と私は縁側でアンパンマンとセーラームーンのジグソーパズルをしていました。 大きなパズルなので簡単なのですが、私が適当に並べていくと、母は「ふふふ」って笑いながらきちんと正しい場所にはめてくれました。
そのとき「ふふふ」って笑いながら横座りしている母の太ももがスカートが短くって、幼い私でも綺麗って思ったんです。そして横座りしながらその太ももが開いたり閉じたり上に上がったり、ゆっくりとした動作で動いているんです。
縁側の外は小さな中庭です。そこでは、電気屋さんが脚立に乗ってテレビの電線の取り替えをしていました。その太ももは電気屋さんの方を向いていました。
そして母は私に「二階で一人でジグソーパズルの続きをして。お母さんがお迎えにいくから、それまで一人できちんと並べられるかな」 私は「はーい」って返事をしてジグソーパズルを抱えて二階へ上がりました。 しばらくジグソーパスルを一人でしていると、下の中庭の方から「あっあっ・・」って母の小さな声が聞こえます。
窓から、そっと中庭の方を見下ろすと、母と電気屋さんは二人ともお尻を丸出しにしていて、前の腰のあたりはピッタリと密着していて交互に押し合ったり引いたりしているんです。 お相撲してるのかな、でもそんなに力を入れている風でもなくて、なんとなく母はうっとりとした表情で「あっあっあっ・・」て小声を出していたんです。
そんな光景を何度か覗き見しました。 小学生になると、その光景を覗き見したくって、学校を早く帰れたときなど「ただいま・・・」も言わずに、そーっとお家に入るようになったんです。そして「おしくらまんじゅうごっこ」って名付けたんです。
母は、多いときでは毎週、少ないときでは月に1回ほどお泊まりで「添削の研修会」に出掛けていました。小学生の低学年のころは、そんなものかなって思っていたのですが、高学年になると、添削の研修会って、そんなに頻繁にあるんだろうかって何かおかしいなって思うようになりました。
もう私が学校から帰ると母は居なくって、母は、夕方の6時頃にうな丼やお寿司の出前が届くように頼んでくれているんです。父は駅弁の売れ残りを食べていますが、一応、父と私の分、二人分のうな丼かお寿司の出前が交互に頼んでくれていました。父は駅弁も食べて、お寿司やうな丼も食べていました。
翌日の夕方までには母は帰ってきていて夕食を作ってくれました。夕ご飯を食べると銭湯に行くのですが、私が小学生のころはお風呂が家になかったことは以前のログに書いたとおりです、研修会から帰ってきて2、3日は銭湯に行かないことに4年生くらいの頃気づきました。生理の日も行かないのですけれど、そんな日は台所の隅っこの少し暗いところで裸になって、洗面器にくんだお湯でタオルを湿らせて体を拭いてるんです。「きょうは銭湯にいけない日なの。恥ずかしいから見ないでね。向こうでテレビを見ていてね」 わたしは「うん、分かった」って言いながら台所と居間の間にあるカーテンの隙間から覗き見していたことがあります。
母の背中からお尻にかけて、たくさんのミミズ腫れや引っ掻き傷があるんです。白い母の体が無惨でした。わたしは「なんであんなになっているんだろう」ってずっと長い間、不思議に思っていたんです。
台所の奥の壁には鏡が取り付けてあって、母は鏡に背中を写したりしていました。体をくねらせて鏡に写した背中・・そのときの母の表情は、何とも言えないものでした。美しい、そして不気味、・・・。
母自身が話してくれたことは、また今度にします。
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