- 名前
- satomin
- 性別
- ♀
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- 恥ずかしいことが嬉しい
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GWは帰省・・・そして母と
2013年05月06日 09:41
久しぶりのデジログです。 父親(?)の日記の続きを書くつもりでしたが、それは少しお休みにして・・・。
GWは実家で母と過ごしていました。
母と私はほとんど全裸で過ごして、食事のとき以外はほとんど抱合っていたんです。 冷蔵庫にある物ばかり食べていて、家の外にもほとんど出ませんした。
母とのレズ(?)のことは、以前に少しデジログに書きました。 そちらも見てくださいね。
母の肌は、雪のように白くってきめが細かくって太ももの内側の血管が透き通って見えるほどです。
61歳なのですが、まだじゅうぶん男の人のお相手もつとまると思います。
そんな母の肌に触れたり肌と肌を合わせていると、すごく気持ちいいんです。
母に触られて「はー気持ちいい・・」って言うと「いってもいいよ、いかせてあげる」 すると私とっても気持ちよくって昇りつめてオーガズムが1分くらい続くんです。
ほんとに1分かどうかは分かりませんけれど、とっても長くつづくんです。 好きな男性とのセックスのときくらい・・・。
いっても、またすぐに抱合って肌と肌をこすりあわせちゃうんです。 そんな風にしてGWの帰省中の3日間くらいがあっという間に過ぎていきました。
母のオマンコから流れる愛汁をなめてあげたり、わたしのを舐めてもらったり、母の唾液を飲んだり、わたしのを飲んでもらったり・・・。
わたしが「もっと早くから・・昔から、こういうことしたかったね」っていうと、母は意外なことをいったんです。
「昔からしていたんだよ。おまえが生まれたときから。 わたしはね、赤ちゃんのおまえにお乳を飲ませながら自慰をしていたんだよ。 おまえは私が神様にお願いして、神様からいただいた大切な宝物なの。その宝物をみていると、私、おまえを授かったときのことを思い出してしまって、たまらなくなってしまうんだよ」
このとき、私は、父親(?)の日記を見たことを話したんです。 すると、母もその日記の存在は知らなかったようでした。「あの人が、そんな日記を付けていたなんて」
私は、日記に書いてあった自分が生まれる前後のことも話しました。
「そんなことまで書いてあったんだね、読んだんだね、知ってしまったんだね」と母は言いました。
「はい、私は自分の生まれることになったこと、父親(?)の日記から知ったんです」
この日記の内容は、また改めて書きますね。
母は義兄との子、そして父親(?)との子を2回、堕していたんです。義兄というのは、母の母(すなわち私の祖母)の再婚相手の子供のこと、なんだかややこしいですね。 このお話しもまた改めて書きますね。
なのに、母は私を生んでくれたんです。
そして、子供の私が夜寝ているときに、私のお布団にやってきて、私のパジャマを脱がせて裸にして、自分も裸になって、そして私を抱きしめて自慰をしていたんです。
私が生まれることになったプレイを忘れないために・・・、思い出しながら・・・、いいえそうじゃなくって、あまりにも衝撃的だったので、ずっと忘れられなくって・・・。
この子は、あんな恥ずかしいことで生まれてしまったんだ・・・だから、私の宝物なんだって・・・。
私は記憶の中で、夜中に母と黒いものがやってくる記憶を持っていましたが、黒いものと母は一つだったんです。 なぜ、そんなふうに記憶していたんでしょう?
私、ほんとは分かっていたんです。黒いものと母がひとつなのを。
中学や高校のころは、私は、自分で裸になっていて、母が階段を登ってくるのを待っていたんです。
中学のころ、母の指がはじめて深く入りました。 「もう一人でもしてるんだろう?」
私は、4年生からしていたって答えると、「おませさんなんだね」って言っていました。
母とこんなことをしてはいけないっていう気持ち、なぜ母はこんな事をするんだろうっていう気持ち・・・があって、それが黒いものと母の記憶になっていった気がします。
昨日の夜の最終の特急電車で東京へ帰ってきました。 めずらしく母は駅まで見送ってくれました。
夏までに、実家の家は取り壊されます。 そして、母も東京に来て私のマンションで一緒に暮らすことになります。 そうしたら、また毎晩、母としようと思っています。
このウラログへのコメント
その光景を見ていたいです。
欲を言えば3Pとか・・・
美しい関係な気がする。
君のログは読み応えがあるね
素晴らしい
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