- 名前
- 玉こんにゃく
- 性別
- ♀
- 年齢
- 43歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 「海を見ていたら自分の悩みがちっぽけに思えてきた」という人とはわかり合えないと思います。
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
こんなことが「個性」という言葉で片づけられてたまるか
2025年11月09日 22:33
毎週日曜日は眉ブリーチの日。
こんばんは。玉こんにゃくです。
「北風と太陽」というイソップの寓話があって、旅人のコートを北風と太陽のどちらが早く脱がせられるか勝負する。
北風はもちろんびゅーびゅー風を吹かせ、その強さでコートを吹き飛ばそうとする。旅人は寒いのが嫌で、必死にコートを押さえて離そうとしない。一方太陽は、その場を明るくあたたかく照らしてその暑さで旅人のコートを脱がしてしまう。
厳しく力ずくで押さえつけると反抗や反発を生むので、そうではなく優しさや心のあたたかさで人を導きましょうね、という教訓でもって現代まで語り継がれている。
私はこの話を子どものころに読まなかったのだが、なぜだか内容を知っている。そしてこの寓話をよく思い出すのはまさに今の時期なのだ。
理由は簡単。こたつを出すから。そのシーズン、こたつを出したら私は極力その場から離れない。
なぜならあたたかいから。寒いのが嫌だから。もう二度とこの安楽を手放したくない。
そして肩までこたつにもぐって思うのが、この「北風と太陽」なのである。
自分で書いていて恥ずかしくなるほど単純である。
あたたかいこたつは私を離さない。私もこたつから離れない。
あたたかさは人を引きつける。「まるで太陽のよう」という何のひねりもない比喩もあるではないか。
まあ、私はこの教訓から何も学んではいないことを恥じるばかりなのだが、今の季節だけは「私も太陽のように周りを明るく優しく照らせるようになろう」と胸に誓っている。誓うだけで何もできずにいるのが私の情けないところである。これは私の性格の問題である。
翻って夏はどうか。夏、私は何も考えていない。近年の酷暑が私を思考から遠く連れ去る。自分が熱中症で倒れないようにするのに必死で、他人に優しくなんてしていられない。これは気温の問題である。
かくして私は、年中人に優しくない。冬と夏だけでなく、たぶん秋も春も優しくないだろう。
困っていそうな人を見ても心の内で「私には何もできないし」と言い訳をし、早足でその場を去る。
情けないねぇ、こんなことじゃいかんいかん、と思っても難しい。人に優しくするのは難しい。難しいものは難しいのだ。
と開き直ったところで事態は解決しない。私は他人に優しくしたい。優しい人間でありたい。
そのためには私の目の前で誰かが困っており、なおかつその困り度は、私が持つ程度の能力で解決し得るものであってほしい。
手を引いて横断歩道を渡るとか(やったことないし、そんなことをしている人を見たこともない)、体調を崩した人に水をあげるとか。
これだけか。私にできることはこれだけなのか。ああ、私の能力は実に低い。みんな、私の目の前で窮地に陥らないでくれ。助けてあげられない。それなのに私は人に助けられている。見知らぬ人に優しくほほ笑みかけられたことさえある。生まれてきてすみません。
こんなに自己肯定感が低くなるのも寒さのせいだろうか。いや、私の性格の問題である。








このデジログへのコメント
冬で日照時間が減ると
気分が落ち込むとはきいたことありますねー
人間ないものねだりですから。
> よしおじさん
はは……。
その目に見えてる勝負を、太陽に対して挑んだ北風ってすごいなーって
子供のときに思ったよ
> 汽水さん
何も思いませんでした笑
コメントを書く