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腕くらべ

2014年06月30日 03:30

腕くらべ

永井荷風は、新時代に蚕食されて滅んでいく「明治年間の遺習」ともいうべき花街芸者を愛惜の情をもって描くとともに、その花街芸者たちが新時代によってどのような変化を蒙りつつあるかを風俗作家の貪婪な眼で見届けようとしている。
『腕くらべ』の舞台となっている新橋は、江戸時代からつづく柳橋に対して、薩長政権の庇護をうけて待合政治の温床となった新興の花街だった。歴史が新しいということと、政治家などの庇護を受けているということから、新橋は最初から権力と金力がものをいう社会で、そういった意味でも、伝統的な様式美を重んじる気風は乏しく、そこでの新しい勢力争いはそのまま文明批評ともなりうるものだったに違いない。
主人公の駒代は、10代の頃芸者として出ていたが、19歳で引かされ結婚したものの夫が早くに亡くなり、夫の里にも居辛く、新橋に戻ってまた芸者をしている。
海外留学のために別れた元の馴染みの吉岡と再会し、二人はまた深い仲となっていく。 さらに駒代は役者の瀬川とも深い仲になる。
「腕くらべ」というのは、古風な芸者気質をわずかに残している駒代と、みず転芸者菊千代、金持芸者君竜との腕の比べあいである。
吉岡は駒代を引かせて自分だけのものにしようとするが、彼女が瀬川とも深い仲であることを知って駒代を捨て、菊千代を引かせて店を持たせる。
学生の頃から花柳界で遊び慣れた吉岡は一見通な遊び人のようだが、実は実益と快楽だけを追求する功利的快楽主義者でしかなく、本質的には打算的で見栄っ張りな人間である。そういった姿は、真の粋人、通人の姿とはほど遠く、彼の情欲と見栄だけを満足させればいいといった吉岡の考え方を、荷風皮肉眼差しで描いている。
そして、吉岡のそういった打算的な姿勢が、駒代が吉岡に再三自分だけのものになるようにと求められながらも二の足を踏ませることにもなったのだろうと思わせる。
結局、吉岡は淫乱肉体だけを売り物とする菊千代に溺れ、駒代を捨てて彼女を妾にする決心をさせるのだが、この二人は、肉欲を具現化したものに他ならない。
駒代のもう一人の愛人である瀬川は、役者であり、駒代に踊りの振付けを指南したりもしている。自分自身も役者なのだから本来ならひたすら芸と人情を尊ぶ役者気質をこそ重んじるべきである瀬川は、しかし、新時代の典型的な人間として、愛情よりも金銭を重んじ、馴染みの駒代を捨てて、莫大な遺産を持っているという金持ち芸者君竜と結びつく。
結局古い時代の気質を色濃く残した駒代は二人の馴染みに捨てられてしまうという結果になるのだが、そういった新時代へ向かう流れの中で、古きよき花柳界の姿を遺しておこうとする「古手の小説家」倉山南巣や「老いぼれた講釈師」であり駒代が身を置いている茶屋の亭主でもある呉山老人の粋を求める姿が、駒代の哀れさを和らげている。
駒代自身にしても金銭欲や権力欲が全くないわけではないのだが、菊千代や君竜ほど強烈に新時代の流れの中でその流れに応じた生き方ができる女性ではなかった。
それは、彼女の中に「ものの哀れ」を感じる心があるからである。 そして駒代がそういった女性だったからこそ、呉山老人は駒代に家を譲ろうと決めたのだ。

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