- 名前
- ヴォーゲル
- 性別
- ♂
- 年齢
- 74歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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眼が、、、、痛い
2006年03月02日 21:30
コンサートのあと調子よく雪の中をアムステルダム駅12時59分発の夜汽車で帰って来て、それもその前の12時40分発には惜しくも2分の乗り遅れてだったから普通だったら腹立たしくまた悔しい思いもするのだが、手に持ったバーガーキングの茶色の袋からオニオンリングの暖かいのをホームで頬張っていると、構内の店で、酒がまだ抜けているとはいえない陽気な若者たちの中に混じって長い列を作って待たされたのも許せる心地だった。
それにしてもこれから45分前の12時をちょっと廻った電車と、1時間に1本にしか出ない夜汽車第一号のこの車内の賑やかさの対比は何だろう。 アムステルダムで遊んだ若者も12時が一つの区切りなのかもしれない。 カフェーやバーを12時に出てぶらぶら駅まで歩き途中で食い物屋の最後のオーダーを拾いながら駅構内に来るとこの時間なのかもしれない。
だから、ジャズセッションが12時前に終わるとそれから急いでも普通は十分間に合う12時13分というのは最後の宵の口とでも言うべきで暖房はされているけれど見た目の寒さも侘しさも漂うがらがらの車内なのだ。 席は十分すぎるぐらいある。
今日はまたスキポール空港駅から陽気な若者の一団が乗り込んできたことも珍しいことだ。 大抵は夜中に着く、世界のどこからか戻ってくる、大きなスーツケースを引っ張った疲れの見える旅行者ぐらいなのに、この夜はどこかでオランダのサッカーのナショナルチームが試合をして、その応援に行って帰ってきたという風情なのだ。 その格好のいつもどうりのお祭り騒ぎ的オレンジ一色。
オランダの色は王家、オラニエ・ナッソー家のオレンジ色であり、何かの折にはこれが必ず出る。 私はこれにはいつまで経っても慣れない、このオレンジ色に。 トリノにもこれが溢れていたのだとテレビニュースはいう。 ナショナルチームには大抵応援団が付いて、御陽気にぱっといこうの心意気、そこでこのオレンジ色の登場となるから、まぶしいスーツ、他の人の目を惹くネクタイ、苦笑がこぼれる帽子はもちろん、今日は車内に20人ほどの若者がオレンジ色のぶかぶかの半ズボン、その尻にライオンの尻尾がついているて丁寧な蛍光発色である。
王家の紋章は立って怒れるライオンであるからオレンジ色のこのライオンの半ズボンはかなっているわけであるが、負けたのかも知れぬ、静かである。アムステルダムのスタジアムでの試合であれば10時をまわって勝ち負けがわかり、それから勝っても負けても近くのカフェ、バーに繰り込み、勝てば攻めとゴールの講評、負ければ相手の反則、審判の不公正さらには監督の無能を大声でまくし立てビールを大量に流し込みそこで翌日の仕事のことがぼやけた頭の隅に夕立の黒雲よろしく湧き上がり、そろって店をまたぞろ駅まで向かうといった具合なのだろう。だから、ここにいる連中は応援と飲みつかれも出て寒い夜汽車の無口の一団なのだ。 だからここからは試合の勝ち負けは伺えない。
夜汽車が駅に着き、降りると他の車両から降りてきた連中の中に若い女の一団もいくつかあり、それらは同じくこのオレンジライオンのコスチュームで手に手にビールの缶をもち、私の車両にいた連中とは違い、まだ十分エネルギーを発散して応援歌まで歌っている。 そとは積もった雪がザラメから氷に変わる冷え切った午前2時である。
うちに帰り着き、今日の日記をとりあえずとこれを書き始めたのだが冷え切った部屋の暖房を入れなおすのもなんだか大業に思い、それでは自分の体を温めればいいのだとワインを多めに飲みながら書いているうちに眼が痛くなった。仕事場に老眼鏡を置いてきてしまっていたので遠近両用のメガネで書いているのだが、徐々に眼の様子が変わってきているようだ。 大分前まではこのメガネでも大して問題はなかったのだがもういけない。
もう何年老眼鏡に頼っているのだろうか、4,5年になるか、早いものだ。 今の職についてもう20年になるのかと同僚から問われて他人事のように驚いた今日だった。
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