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春か?

2006年03月13日 01:19

春かと思えるほど麗らかな景色だ。 車の後部座席から周りに広がる田園風景を眺めている分には。 けれど先ほどまで1時間余り、地下の射撃場で地区の競技会に参加して暖房のない多分氷点近くの空気の中で防寒コートはきているものの露出している手、とりわけ指の冷たさが沁みた。

家人と娘が待つ義父母のうちに寄ってそこで彼らの遅い昼食にかろうじて間に合い、老夫婦正月からこれまでの近況をうかがう。 先週は今、税の確定申告に皆忙しいにもかかわらず話題は80を越す義母スーパーマーケット駐車場で何かにつまずいてまともにコンクリートに叩きつけられて医者に行く事はなかったものの目の上に擦り傷と青あざをつけたその大事件のことだったのだ。 私自身もその何日か後目の前1mのところで私と同年輩の婦人が大きな買い物袋を宙にとばしてスローモーションを見るような体のひねりと両腕で顔面を防御することなく鈍い音と共に顔面を叩きつける躓きを見たのだった。 色々なことがこの世では起こりうる。

そんなことを話しながら他より遅れた昼食をビールで胃に流し込んだら運転する気がなくなった。 この車はもう4年近く乗っているが助手席はたまには坐るものの後部座席にはまだすわったことがなかったので少々不思議な気がした。

娘が祖父のところに行くというのは学校の宿題に関係していた。 自分の祖父母の生きてきた時代を記述する、という歴史・社会の課題だったのだ。 祖父は定年から後趣味で絵を描いたり小さいものを木工、金属加工の技術を使って様々なものを作ったりする趣味三昧の一方、自分が人生のたそがれの時期にさしかかって自分の足跡をたどり確認すべく自伝をすでに書いており、われわれ子供たちの家庭にはそれぞれ手書きコーピーの200ページ以上の製本したものを残していた。 娘がそれを読んでいくつか聴きたいことがあるからとインタビューに及んだわけだ。

義父の一生はほかの多くのこの年代の人とおなじく戦争によって運命が翻弄されている。 学校を出ないうちにドイツの占領にあいルール地方の軍需工業に強制収用されて工場で働かされ、すずめの涙ほどの保証金が10年ほど前にでたもののその当時の死の匂いが始終まとわりつく環境をなんとかくぐりぬけ戦後オランダに戻れば徴用され日本降伏の後のインドネシア独立を抑えようとする旧宗主国オランダ軍の一兵卒として何年かインドネシアに駐屯している。 訓練以外では敵に銃弾を発射する機会がなかったことを幸いだと述壊するのだが、また一方で、寒冷なオランダから見も知らぬ熱帯のインドネシアの生活、風土、言葉の違いを懐かしがるのだった。 後年、娘が旧敵国の男と結婚するというのは完全に想定の外だったにちがいない。

そんなことを思いながら広大な農地の上に広がった明るい空にひらひらと留まる隼か鷹を眺めていた。 野鼠が顔を出し始める時期なのだろう。 このあたりには何もさえぎるものがないことから、遠くからでもこれがよく見える。 また、日曜日には大抵ラジコン飛行機を飛ばして楽しむクラブが古い農場を格納庫、滑走路にしているところが農地の真ん中にあり、今日はこれを後部座席からゆっくり眺めることが出来た。 遥か遠くに2,3の人影が腰のあたりに小箱を持ち上空を窺っているのが見える。

うらうらとした日差しなのだが、周りの水路には薄氷が張っていて、ちょうどその時、カーラジオ天気予報ではこの日差し青空は続くものの、今晩の気温は零下5度までは下がり明日の日中気温は今日と同じく2度ぐらいだと報じていた。 けれど、この車内は昼食のビール日差しに暖められて車内の暖房がなくとも居眠りに落ちそうなほど例外的な春だ。

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