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In This World; 見た映画 March. 0
2006年03月14日 05:43
イン・ディス・ワールド(In this World )(2002年)
監督:マイケル・ウィンターボトム(Michael Winterbottom)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると「イン・ディス・ワールド」(In This World)は2002年製作のイギリス映画である。 ベルリン映画祭金熊賞を受賞。主人公の少年達は、実際にパキスタンの難民キャンプ出身である。
ストーリー
パキスタンの難民キャンプで育ったジャマールは、従兄弟とともに6400キロ離れたロンドンに向かうことになった。密入国者の手引きによって、彼らの危険で長い旅が始まる。
と、説明にあったのだが、私の18になる息子が金曜の夜、男友達たちとカフェに出かけ、あんまり面白くないからと、帰って来たのが12時前、丁度この映画がテレビで始ったときだった。 あれ、この映画みたぞ、ええっと、いつだったか高校から有志を募ってアムネスティー・インターナショナルの催物に行ったときアムステルダムで見たわ、といいながら私のそばに坐って一緒にしばし見始める。
ロードムービーであり、果たして目的地に行き着けるのか、その間にどんなことが起こるのか、そして多くはその画面のまわりに写る景色、人々がどれくらい現実感を持って我々の知らない世界にいざなってくれるのかというのが見所なのだろう。
画面の世界は私たちを楽しませてくれるものではない。 そこは世界の中でもきな臭く、もう何年も問題が続き現在もくすぶり続ける火薬庫とも言われる場所で、そこに生まれ育ち、親たちの子供には今、ここよりよい世界で暮らして欲しいという願いを背負ってヨーロッパに移ろうとする何十万人ものうちの2人の物語であるのだが、実際、また、主演の2人はそういう難民キャンプの経験者らしいのだ。
トラック、コンテナーで荒野を何時間も、果てにはコンテナー船で密入国を図る映像はその荒れて寒々とする、私には想像も付かない、疲労をもたらすものである。 いつだったのだろうか、ロッテルダムからドーバー海峡のトンネルを通ってイギリスに運ばれたコンテナーの中から50人以上の中国人だったかの死者が発見されたのは。 この映画が製作された前後だったと記憶するが、そういう危険を賭けてというより、ロンドンに行く、と主人公が言った時には賽は投げられていた。
果たして自分にはこのような選択をしたことがあったろうか。 このようなというのは運命を左右するようなという意味で、勿論、我々の人生というのは大小さまざまな決定の連続であり、日常では命を賭けるというような選択肢は運命が我々の感知しないところで選択しているというのであれば別物であるが、普通はない。 もう30年以上前、知人がこのルートを旅行している。 当時はまだインドからヨーロッパの道は今ほど国際政治の紛争は激化しておらず、日本のパスポートをもち途中でビザの問題があれば1000km戻って日本領事館で発行を受け時間のロスはあるものの生き死にには関係のないヒッピーまがいの旅だった。 映画の世界は2002年である。
フランスのカレーのトンネルを宵闇に紛れて歩いて歩いて渡る密行者の問題が
フランス、イギリスの神経をなでて双方が問題の押し付け合いをするニュースの報道があったのもこのころか。 けれど、その報道のなかでは後を絶たない野鼠のごとくとも形容される経済避難民たちの姿、背景は報道されなかった。 それがヨーロッパ各国の姿勢である。 そこへ12,3歳のの子供と二十歳前後のいとこが家族、同胞、異国の言葉を共有しない人々の助け、ときには乱暴に扱われ、時にはわけもわからない状況に翻弄されながらも駒を進める物語なのだ。
ここで興味を引いたのはいくつも違う文化、言語を忙しく通り抜け、生き延びるための意思の疎通の方法だった。 英語が共通語として使われ、通じても通じなくてもそれが命綱の役割を果たすのである。 交通手段を次々に変え、人から人を渡り、その間に善意の人たちと交流があるのは心の慰めになる。 しかし、現実にはもっと酷い状況を体験し続けている人のことを想うとこの映画のストーリーではストーリーを進めるために余分な軋轢を円滑にさせているように見える部分もないではない。
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