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その点は正しい、但し正邪の別は判決が全て、かと
2008年04月23日 00:04
光市母子殺害 胸を張る弁護団
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=467861&media_id=2
<昨年10月までメンバーだった弁護士は「みんなぴりぴりして精神的にかなり張りつめていた。夜道を1人で歩くのも怖いほどだった」と振り返る。それでも弁護団は「元少年には、きちんとした弁護を受ける権利がある」とひるまなかった。 >
どんな極悪人にも裁判を受ける権利はある、もしかすると犯罪の認定自体が間違っているかもしれない、絶対の真理はこの世にはない(少しの異議点があれば、絶対的な刑罰を加えるべきではない)。
以前この日記のどこかに書いたかと思うが、日本での死刑という刑罰の存在理由として(今日あった鹿児島での自衛官によるタクシー運転手殺害にもあった様に)凶悪犯罪を抑止する効果についてはかなり疑問があるので、犯罪者の更生(罪への反省)を促進する効果、犯罪者への「仇討ち」的心理を国家が代償するとみなす行為効果、などなど「欧米諸国では廃止の論調が大きい」だけに、何らかの積極的・かつ国家による法的正当性をまとった存置理由がないといけないかと思われる。
同時に、今回の事案でもそうだが、犯罪者のみにより「事件」が語られてはならない。必ず「被害者」が存在するのであるから、「チームバチスタ」で著者が取り上げていた「AI」などによる確実な「被害者の検視」にて「確実な被害原因」を誰の目にも分かり易く提示出来る社会作りを強く求めていきたいと思う。
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