- 名前
- haru3dayo
- 性別
- ♂
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- 俺のセックスの基本はクンニです。 ペロペロさせてくれたら、その後は快楽の海を漂わせて...
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【お題日記】何歳まで親とお風呂入ってた?
2025年07月30日 17:13
俺を産んでくれたお袋とはいつも一緒にお風呂に入っていた。
しかしそのお袋は俺が小学校に入る前になくなった。
そのお袋が亡くなって1ヶ月も経たない内に新しいお袋、すなわち俺を育ててくれた今のお袋がやって来て、今のお袋とは一緒にお風呂には入ったことが無い。
また俺を産んだお袋を妊娠させた親父は俺が生まれる前に亡くなっているので当然ながら一緒にお風呂に入ったはずはない。
そして、その親父の代わりに、俺を産んだお袋と結婚して俺を育ててくれた親父とは、俺が大学に入学するまでは親父が仕事から帰って来るたびに一緒にお風呂に入った。
また俺が大学に入ってからは、俺が帰省すると何故か親父が仕事から帰っていて一緒にお腹に入った。
俺を育ててくれた親父とのお風呂に関する思い出は、中学1年の時のこと。
一緒にお風呂に入った親父が俺のオチンチンを見て、おおっ…ムケて来たか?と言って、半分だけ被っていた俺のオチンチンの皮をグイッと引っ張って亀頭部を剥き出しにした。
そして親父は俺に、haruも一人前の男になったな…と言った。
その言葉を聞いて俺は親父の股間を見た。
日に焼けたような色をした俺と同じようなオチンチンがあり、大人になるとこんな感じになるんだ…と俺は思った。
俺を育ててくれた親父が家に居ないのは仕事で出掛けているからだとお袋から聞いていた。
家に帰って来て2、3日すると出掛けて行き、10日くらいすると帰ってきて、2、3日後に出掛けるの繰り返しだった。
そんな親父に俺は何でも話した。
親父が俺の亀頭部を剥き出しにして約1ヶ月後に、座布団を股に挟んでテレビを見ていた時に何かオチンチンが気持ち良くなり、股間がベトベトすると思ってパンツを脱ぐと汚れていたことがあり、その晩親父にその事を話すと、パンツを汚しちゃったか…と言って大笑いされた。
そして汚したパンツはどうした?と聞かれ、部屋にある…と答えたら親父はお袋を呼び、haruがやっと射精したぞ…汚したパンツが部屋にあるみたいだから洗ってやれ…と言ったので俺は驚いた。
そしてもっと驚いたのが、そのパンツを持って来たお袋が、汚したのは仕方が無いのだから直ぐに洗うのよ…と俺を怒ったこと。
また中2の夏休み前に教育実習のナツミ先生に童貞を捧げ、10日間ほど先生から勉強を教わると言って先生のアパートに通ったことも、その勉強が学校の勉強ではなくて女性の身体に関することやセックスの勉強だったことも、お風呂で親父に話した。
すると親父は俺のオチンチンを掴んでギュッと握り、やっとオマンコに入ったか…と言った。
そして親父は、俺は12歳の時に初めて経験したぞ…と言った。
そして、オマンコは気持ち良かっただろう?と言い、ゴムは着けたか?くれぐれも相手の女性を妊娠させるなよ…と俺に言った。
俺はナツミ先生からゴム無しでした時の妊娠する話を聞いていたので、分かった…と答えた。
そして中学生2年の時のパランタインデーの時に同級生のクミちゃんの処女を頂いた時も、親父と一緒にお風呂に入った時に話した。
その時も親父は平然と、その子を大事にしろ…と俺に言った。
高校一年の時に女子大の寮に軟禁されて女子大生のオモチャにされた時も、家に帰るとその翌日に親父が帰って来て一緒にお風呂に入ってオモチャにされたことを話した。
すると親父は、そんなことは大人になっても中々経験出来ないことだから良い経験したな…と言った。
そして助けてくれた寮母さんが求めてくると言うと、助けてくれたんだから期待に応えてやれ…と親父は言い、くれぐれも妊娠だけはさせるなよ…と俺に言った。
俺を育ててくれた親父とお袋はこんな感じの親だったので、今の俺があるのかも知れない。
画像は今朝撮った画像で、たまたま早朝ジョギングで再会した俺が以前勤めていた会社の社長秘書のクンニ前の画像。
俺が勤めていた頃は役員秘書をしていて、忘年会の二次会で意気投合してホテルへ行き、俺のクンニで生まれて初めて連続イキを経験した子です。





このウラログへのコメント
ミッチンさんへ
バカと言われても、事実は事実でどうしようもないことだよ。
前向きに生きよう!
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