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- SM調教歴20年。 羞恥調教、緊縛、快楽責めを好むS男性。 性格は温厚なので痛い系や...
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調教と「利他の心」
2018年06月29日 00:15
「利己の心」と「利他の心」
この二つの言葉を調べるとこう書かれている。
「利己の心」
自分の利害だけを優先させて、他人のことを考えない心の事。
「利他の心」
他人の利益を重んじ、他人が利益を得られるように振舞う心の事。
「利己の心」は自分だけが良ければ良いという事だから、お話にならない。
そんな人間と信頼関係が作れるはずがない。
それに対し「利他の心」は自分を犠牲にしても他の人を助けようとするわけだ。
とても素晴らしい心の在り方だ。
それゆえに、ビジネスで成功するには「利己の心ではなく、利他の心で判断せよ」とよく言われる。
だが、「利他の心」とは本当にそうなのだろうか?
私はそうは思わない。
少し説明が足りないと思うのだ。
私は「利他の心」とは「相手の利益を考え、相手に利益を与える事が自分自身の喜びに感じる心」の事だと考えている。
いくら相手の利益を考えたとしても、そこに自分が存在しないのは不自然だ。
自分の幸せを感じないで、ただ、相手の幸せを考えるだけでは、自分が不幸になってしまう。
自分をないがしろにした上に成り立つ相手の利益では意味がないのではないか?
長い目で見ると、自己犠牲は必ず、歪みを生む。
だが、相手の利益が自分の利益と一致していた場合はどうだろう。
この場合はいわゆるWIN WINの関係になるわけだ。
本来はこのような関係を築かなければならないと私は思う。
「利他の心」とはそういう物ではないだろうか。
さて、前置きが長くなったが、実はSMではこの「利他の心」を身につける事ができると私は考えている。
M女は主に奉仕をする。
だが、この時、自分の喜びを無視して、ただ奉仕するだけだとどうだろう。
簡単に言えば、命令されて、無理やり奉仕をさせられているわけだ。
これではSMの素晴らしさは享受する事はできない。
では、M女自らが主に奉仕する事を望み、また、奉仕する事で自分自身も喜びを感じる事ができたらどうだろう。
簡単に言えば、「奉仕させていただいている」と言う感覚だ。
この状態は私の考える「利他の心」の状態に非常に近い。
そして、これは私自身にも同じ事が言える。
それぞれのM女が備えているM性に応じて、調教する事は相手に喜びを与える事であり、また、その調教によって、悶え喜ぶ姿を見る事は私によっても至福の時間なのだ。
つまり、私にとっても「利他の心」が成り立っている。
日常の生活やビジネスの世界で「利他の心」を身につける事は簡単ではないだろう。
もし、簡単に身に付くのであれば、人間関係がギクシャクする事もないだろうし、どんなビジネスも成功しているだろう。
だが、現実はそうではない。
多分、それは本音で人と関わる事が簡単ではないからだと私は思う。
本音で関わらなければ、相手の利益が自分の喜びになど、なるはずがない。
その為に、表面だけを取り繕う事になり、結局は「利他の心によく似た違う物」になってしまうのだろう。
では、こんな偉そうな事を言ってる私はどうか。
意識はしている物の日常生活や仕事では常にそんな状態になるのは正直難しい。
まだまだ、精神的に子供だ。
だが、SMに関しては違う。
本気でM女の喜びを考える事ができるのだ。
多分、それは調教されているM女も同じ事だろう。
SMなら自然と「利他の心」を磨く事ができる。
これもただのエロではないSMの素晴らしさだと私は思っているが、あなたはどう思うだろう。
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