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「 いただきます 」

2005年11月13日 20:40

何だかんだ言いたい放題で、もうすぐログ1ヶ月。よくもまぁ、こんなに書くことがあったもんだ。
てか、日記らしいものって殆ど無くて。・・・ねぇ。

昨日、北野たけしが出てた教育番組を見てた。
後半に「命の学習」って枠があったんだけども非常に面白かった。
見た方も多いと思うけど。

13年前の話。
小学校で「食べる為に豚を育てよう」と先生が提案するわけ。
豚のPちゃんはみんなの世話のお陰で元気に育つわけだが、
生徒が卒業を迎え、豚をどうするかを話し合う。
「(約束通り)みんなで食べる」
下級生に世話を引き継ぐ」
「食肉センターに持っていく」
このような案が出て、生徒32人は必死に考えるわけ。

「食べることは、愛情があるから出来ない。殺したくない」
下級生に引き継いでも、危険。下級生卒業するときに困る」

結局、「今殺す」のか、「下級生に責任を押し付ける」のか、
ここが最終的な問題になってきた。

結局のところ、生徒達は半々の意見だった為、先生に決断を委ねたんだけど、
決断が正しかったのか、どうだったのか、13年経った今も分からないらしい。

凄い考えさせられるテーマだった。

「正しいかどうか」よりも、そういう事を経験するして考えるというのは、
小学校の時に教えるべきだと思った。
「命の授業」って一番大事なんじゃないかな。
涙を流して、命のことを考える。

命の大切さってペットとかを通じて教わることが多い。
うちの実家は、犬と猫をもう何代も飼っている。
何度もペットの死に直面して、本当に勉強させてもらった。
命が大事だと言うことを。
命は使い捨てでは無いってことを。
そして、目を背けちゃいけないってことを。

死に直面していないから、人の痛みが分からない。
イジメが無くならない。
安易に子供が欲しいと言う。


高校生が幼馴染を・・・。
一昨日の事件ですが。
真相は分かりませんが、人が人の命を奪う権利はまったく無い。
断固として無い。
当たり前なのに、当たり前じゃ無くなって来てて。
怖いよ。最近。



それから・・・(食事前、食事中の方は読まない方がいいかもしれません)
人間は食物連鎖の一番上にいる。けど、あまりにも下のことについて無関心。
生き物を食べて生きている。植物を食べて生きている。
でも、多くのものは元の命ある姿から加工されている。

「カルビ美味しいよね」とか言うけど、生きている食用牛が、どうやって食物になるか、その工程で避けて通れない所がある。
「殺す」という工程

考えたくないと目を背けることは簡単。けど、事実は事実。
それでも食べている。

「イタダキマス」と手を合わせる意味。そういうことをちょっと考えてみたい。



   

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