- 名前
- nomiya8
- 性別
- ♂
- 年齢
- 80歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 私の酒は食前酒で飲むと陽気になり歌ったり踊ったり。信条は去る者は追わず来る者は拒まず...
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娘と私
2007年07月21日 14:28
主題の前に、昨日のログで思い出の曲が2曲あると書いたが、1曲目の事で長くなり、書き忘れましたので追記しておきます。
曲名は"Beautiful Sunday"場所は台湾。私の初めての中期出張で居た時の思い出ですが、それ程の重い物ではありませんが、曲のテンポも好きでしたので。
娘が生まれたのは私が2回目に台湾滞在している時。私が29歳の年の年末近くのだった。
当時私は会社で検査を任されていて、6,7人居る検査員は一人づつ交代で2ヶ月づつ台湾に駐留する事になっていた。
その時に行く事になっていた部下から事前に都合が悪い旨、シフトの変更依頼を受けていた。
しかし誰でも年末にはとかく色々行事やらが入っていて、代わりの者を行かせるのも可哀想なので私が行く事にした。
どっちにしても出産は家内の実家近くの産院ですることになっていたし、出産も間近く、私が居なければ直ぐにでも実家に帰った方が家内も楽なので。
台湾に着いてから数週間後、それまで数通の手紙で連絡は取り合って、生まれてくる子の名前をあれこれ決めようとしていた。
無論その時点では男か女か解らなかったが、女の子を作るとの一念でそれなりに努力したから、9割方女の子と信じてはいたものの、一応男の場合も想定し、予め考えていた。
少しして家内から電話が入り、無事女の子が生まれたとの知らせだった。
2ヶ月の滞在を終え帰国し、既に我家に戻っていた娘との初対面。
顔を見ただけでは娘だと言う実感はなかったが、オムツの交換で実感したのも事実だ。
長男の時もオムツをたたみ、交換もしたが、今度は女の子だからこうやってたたむのよと家内から教わった。
家内の家系は女系で、家内の姉妹3人居るが、全て女の子ばかり。
だから長男は珍しがられ可愛がられたが、反対に娘の場合は興味ももたれず、そのせいかかどうか解らないが、長男と比べとても無愛想だった。
子供が小さい間は遊びの共通性からか、同姓との係わり合いが多い。私は息子と、家内は娘と言う様に。
しかしやがて子供が成長するに従い、逆の関係になってくる。
その為かその頃以降思春期の間に父親を亡くした娘さんにファザコンが多いのは。
但しこれはあくまでも私の単なる感じだが。
その頃息子はもう中学生になり、風呂も一人では行ってたが、
まだ小学校の高学年だった娘は私と一緒に入る事が多かった。
娘を先に洗い浴槽に入らせ、それから自分を洗ってから浴槽に入る。
先に入っていた娘はもう出たいと言い、浴槽の淵を跨いで出る。
その時娘は私の方を向きながら跨ぐので、娘の娘たる部分は私の顔面に丸出しだ。
何故か私は目を逸らし、未だ子供だからこんな格好を私に見せているが、もう少しの間だろうな。
娘と一緒に風呂に入っていたのは何時までだったか、はっきりとした記憶はないが、恐らく中学に入る前までだった様な気がする。
娘が高校生の頃だった。時々家内と口論になり、私は傍観するだけだが、そのうち娘は泣き出し自分の部屋に行く。
私は少し間を置いてから娘の部屋に入り、ベッドの中で泣いている娘にそっと声を掛けてやる。
「OOの気持ちも解るけど、あそこでママにあんなこと言ったら駄目だよ」それに対し娘はその時の気持ちを話す。
少し話した後「でもパパはOOの事好きだし信じているからね」と言って部屋を出てくる事が多かった。
そんな娘も短大を出てからバイトし、ある程度ためると海外での生活をし始めた。時には数ヶ月、あるときは1年になる時もある。
その出迎えは大体私が車でしているから、その間の長い道中で色々話をする。
ある時、私は娘に何時結婚するんだ。早くしろよ。と言った事がある。
すると娘から「パパとママを見ていると、中々相手を選ぶのに慎重になっちゃうから」と言われた。
辛いところだ、悪いとは思うが今となっては元に戻れないだろうな。
娘とは結構いろんな話も平気でして居るが、
私がネットの出会い系を始めて、私には解らない若い人達の言葉が色々ある。
ある日、無論私も感じ的にはそうだろうなと思ってはいたが
「OO、クO二と言う言葉知っている?」・・・「うん」・・
「どういう意味」・・・「うぅぅぅ」「あっ、やっぱりそうか
言いにくい事なんだ」。
そしてつい最近「トラウマってどういう事」
と聞いたりしている私です。
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