- 名前
- nomiya8
- 性別
- ♂
- 年齢
- 80歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 私の酒は食前酒で飲むと陽気になり歌ったり踊ったり。信条は去る者は追わず来る者は拒まず...
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私と犬-3(ノバ)
2009年04月15日 17:45
前の犬の事で私はもう二度と犬を飼いたくないと思っていた。
そうこうして2年程は隣の家の犬を可愛がっていたし、たまに散歩もさせていた。元来犬が好きだからだろう。
ところがある日、神戸の知人から家内に電話で「今犬を一匹飛行機で送ったから引き取りに行って」と何の前触れもなく知らせが入った。
その先へ進む前にその神戸の知人について少し説明しないと、読んで頂いている方々に理解するのが難しいと思うので概略を述べておきます。
その家族とは我々が香港に居た時に家内が知り合い、親しいお付き合いをしていました。我々が帰国後少ししてから帰国し奥さんの実家の神戸に住んでいました。そこには父親と姉が同居してますが、お父さんは画家でお姉さんはピアノの教師です。
又彼女は動物が好きで、捨てられた犬とか猫を連れてきては去勢手術しては自宅で飼っていました。
我々がその家にお邪魔した時は犬は一匹でしたが猫は6,7匹家の中に居ました。
その様なわけで既に成犬になっていた犬を我が家が犬好きと知ってて送ってきました。翌日家内が羽田まで近くに住んでいる姉と来るまで引き取りに行きました。
その犬を捕獲したのが11月だった事から直ぐに「ノバ」と名付けられました。
その夜私が帰宅すると玄関の中に居て、大人しく私に対しても特別な反応はしなかった。毛並みから見ると柴犬と何かの雑種の感じでしたが、通常の柴犬より多少大きい感じだった。
何時の日頃か夜の散歩は私の役目になっていたが、たまには昼間も散歩させる事もあった。途中よその犬と出会うが、本人もそうだが他の犬からも好かれる様子がない。彼は玄関に犬小屋を置いてそこに繋いであったが、前の通る近所の人からは「ノバちゃん」と何時も声を掛けられ、人からは可愛がられていた。
我が家に来てから5,6年した頃だったか、夜私が帰宅すると何時も居るはずの彼が居ない。
家に入り「ノバは何処に繋いでいるの」と家内に聞くと
「玄関よ。何! 居ないの?」
それから家内は自転車で、私はよく散歩に連れて行く遠くの方と捜索開始。
夜も遅いから少し抑え気味の声で彼の名前を呼びながら回ったが一向に傍へ来る様な感じがしない。
2,30分後戻ると既に家内は戻っていて「居た?」と聞く。
その夜は諦め翌朝まで待とうという事になった。
翌朝家内は気になり直ぐに玄関に見に行くとそこに彼は何食わぬ顔をして居たのだ。
その後も1,2ヶ月に一度の頻度で首輪抜けをして、夜を徘徊する事があった。
何度確認しても普通の時は彼の首から首輪が抜けないのに、如何やって首輪抜けするのかとうとう解らずじまいだった。
その彼も我が家に来てから13年位経過した頃、大腿部に麻痺が出てきて、その後3,4ヵ月後息を引き取った。
無論私も彼を可愛がったが、家内は自分の友達から送られてきたという事でか、具合が悪くなってからは家内が献身的に面倒を見ていた。
私は少し大きめのダンボール箱に家内が用意した毛布を引き、そこに彼を寝かせ、我が家から車で30分程にある火葬場に家内が予約を取り、連れて行った。
今までは私よりも気丈夫な程、涙を見せなかった家内だったが、最後まで面倒を見た事でかなり情が入り込んだのだろうか、火葬直前になり声を詰まらせていた。
このデジログへのコメント
ペットの方が先に逝ってしまうんですよね。
何度経験しても辛さは抜けませんね。少しでも長生きして欲しい
> あずきさん
コメント有難うございます。でもこの時はある程度犬なりの一生にほぼ近く生きていたし、我々なりに100%とは言えないが可愛がったから私はそれ程打撃は受けませんでしたよ。
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