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音楽と思い出

2007年07月20日 10:25

音楽と言うのは何年経っても廃らず、今でも時折聞かれるものもあるが、多くはその時代その時代によって移り変わってしまうものが多い。

今は殆ど耳にしない音楽だから、ある日偶然耳にすると、その頃の事が懐かしく思い出されてしまう。

世代によりその音楽も様々だし、同じ音楽でもその時のその人の状況によって、楽しい思い出だったり、辛い悲しい思い出だったりする。

私の場合この様なサイトでは最年配の部類に入るだろうから、それだけ多くの場面が思い出になるが、そんな曲知らないよと言われる方も多いかと。

数ある中でも直ぐにその時の情景が脳裏に蘇ってくる2曲について

1つは、1968年(未だこの世に生を受けていない方も多いと思います)私が23歳でアメリカへ赴任しました。

未だ言葉も良く解らず、話せなかったが何時もラジオから流れている曲の一つ゛恋は水色”ラジオでは曲名を言っていたのだろうけど、
私には日時様会話も覚束ないし、ましてやラジオからの英語など解るはずもないから、曲名も知らず、ただ素敵な曲だなと思いハミングしていたのを思い出します。

日本を発つ前に今の家内婚約し、必ず向こうへ呼ぶからと約束をして涙で見送られ渡米した。

当時国際電話は、始めの3分間で2700円と所得に対して大変高く、とても頻繁には利用できない。
それでもたまには肉声が聞きたく、月に一度位しかする事は出来なかった。

必然と連絡手段は手紙になってしまう。
エアーメールなのに届くまで約一週間。
そのメールに対する返事を待つのももどかしく、次に第二、そして第三のメールの発信。
ですから2,3日毎にメールを書き、時には涙ながらのメールもあり、時には耐えられず諦めたいとのメールもきた。

日本語ラジオ放送だとアナウンス耳障りで手紙に集中出来ないが、未だ英語が解らない私はラジオを聴きながら書いていた。

その時々に流れていたのが”恋は水色”
無論曲名は帰国してから知りましたが。

私が渡米したのが3月、家内入籍後私の元に来たのが、同じ年の9月。
今でもそのまま箱に入れてしまってあるが、その6ヶ月間の手紙は夫々100通近くで薄い便箋用紙で15センチ程の厚さであった。


長い年月は全てを変えていく。
その頃の互いの思いやりがあれば、私もここを徘徊してなかった様にも思える。

そんな思い出。

このデジログへのコメント

  • あずさ 2007年07月20日 18:53

    素敵な思い出、愛がいつまでも続いているようです。私も 太陽は燃えている や、リリースミー好きです。

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