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夢の変革

2007年04月26日 10:37

夢には途方も無く大きなものと、ある程度現実性のあるものとがあるように思う。
そしてその比率は年齢と共に変化逆転し、最後には一途の夢になり、途絶えてしまう場合も多いし、成し遂げてもうこれでいいのだと言う人は居ないのではないだろうか。母からこの世に生を受けた時は無限の可能性を秘めている筈だ。総理大臣になる、宇宙へ行く、大会社社長になる、世界的に有名な博士になる等等。それらになるために天性なり環境などの諸条件がある事など知る由も無い。そして3歳を過ぎる頃から色々な疑問に出会い、それなりに理解し始める。
何が発端かは記憶に無いが、母が「はい、総理大臣は」と言う、私は立ってふんずり返って見せると一緒に居た人達が喜び、何度も母はさせたりした。
小学校の3,4年生頃はトラックの運転手になりたいと思っていた。動機は簡単だ、余り旅行とか連れて行ってもらっていなかったので、トラックで日本国中は知れればと思ったからだった。
小学校の高学年になると、鳥の様に空を飛んでみたく、飛行機パイロットになりたいと思う様になり、よく飛行機、それも何故か戦闘機の絵を描いたのを覚えている。
中学になり担任の先生が四谷綾子の門下生で、その頃有名だったテノール五十嵐喜代志と同門だったそうで、声楽では人からも上手いと言われてた私は歌手になりたいと思うようになった。未だ声変わりをしていないボーイソプラノだったが、両手を前で合わせイタリア民謡を良く歌っていた。
その頃中の良かったクラスメートに誘われ彼の家に行った。彼は直ぐに自分の部屋へ私を連れて行き、机の上におかれてある物を見せ「これはお父さんに教えてもらいながら僕が作ったんだ」と言った。私は初めて目にする物で、ケースに入っていない真空管ラジオだった。その時彼に対して凄いなと思ったのと同時に、彼のお父さんも凄いのだなと感心して帰った。それから何日か過ぎた夜、父に父が使っている戦後間もない頃の物と思われる古いラジオを分解したいので欲しいと言ってもらった。初めは無理かと思ったが、すんなりと許してくれた。早速翌日分解し始め、バラバラになった部品をずっと眺めていた。無論配線等全部切ってしまったので、元通りにはならずそのままになってしまったが、それが始まりで将来の仕事に結び付いてしまったのだから、きっかけと言うのは恐ろしいものだとも言える。それからは昼飯として毎日母からもらっていたお金をケチり、貯めては秋葉原部品を買いに行くのが楽しみになっていた。

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