- 名前
- ぴーとにゃんこ
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- 色んな意味で猫っぽい奴です。最近まで大阪にいたけど、お金ないので、香港に撤退!語学屋...
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チップ忘れで逃したベトナム人美少女との恋
2013年05月18日 18:52
前世紀末にも近いある冬、僕がアメリカのミネアポリスで暮らし始めた頃のことだ。
時にマイナス30℃にも下がる日もあるようなその北の街にはベトナム人が多かった。ミネアポリスを一大拠点とするルター派の教会が積極的にベトナム難民を受け入れていたせいだった。
僕はよく、彼らに自分たちの同胞だと思われた。確かに僕の顔はあっち系だ。眼は大きいし、全般的な顔立ちが東南アジア的だもの。面白く、嬉しかったのは「いやいや、僕はベトナム人じゃないんですよ」と言っても、僕のことを「ブラザー」と呼んでくれ、親切にしてくれる人が多かったことだった。
なので、僕はすぐにベトナムに親しみを持つようになった。下宿の近所にベトナム料理屋があって、そこでは学生向けに安い定食を出していたので、通うようになった。
楽しみだったのは何よりも揚げ春巻き。中にはひき肉だの春雨だのがぎっしり詰まってるのをライスペーパーで包んで揚げたもので、欧州のソーセージより一回り太かった。これはおいしかった。
そして、もうひとつの楽しみが、可愛いベトナム人のウェイトレス。薄めのチョコレート色の肌に大きな眼、小柄なんだけどバランスの取れた体型と結構な美人だったし、その当時のアメリカの女性の間ではぐるぐるパーマが主流だったから、自然なストレートな髪は見るだけで癒された。その上、僕にはかなり愛想がよかった。
実際のところ、僕がアメリカに住んで最初に萌えたのはこの子だった。
でも、1カ月ほど通ってから、彼女の態度が急に冷淡になった。僕は彼女に何か悪いことでもしたかな、と心配になったが、通い続けた。そのたびに彼女の態度は悪くなっていく…
僕には理解できずに同じ下宿に住んでいたアメリカ人のにーちゃんに相談した。
彼は開口一番「ちゃんと、まともなチップやってるか?」と言った。
僕は、え?と、お口をあんぐりさせるしかなかった。
だってさ、1回の食事で20ドルとか30ドルになる高級店はともかく、大衆食堂的な店で2ドル50セントの定食を食べてもチップ要るの?と思ってしまった。
同居人はあちゃーと言った顔をして、チップの重要さを説き始めた。
あくる日、僕は彼女にチップをしなかったことを詫びようと未払いチップとして10ドルと、ちょっとしたチョコレートを持って店を訪れた。
店の主人に話を聞くと、彼女は辞めてしまったという。
仕方なく、僕は持ってきたものを主人に渡して店を去った。
それが彼女に渡ったかどうかは分からない。でも、いいや、という気分だった。
そこで、いいや、じゃなくて、主人に彼女の居場所を聞いて、会って渡していたら、どうなってただろうか?
後悔先に立たず…
アメリカではチップってそれくらい重要だということを思い知らされた。だって、ウェイトレスは基本給が低くて、愛想よくしてチップを多くもらうことで稼ぐのだもの…
そう言えば、警官のニコラス・ケイジと喫茶店のウェイトレスのブリジット・フォンダのIt Could Happen To You(あなたに降る夢)もチップにできる小銭がないから、宝くじが当たったらその半額を渡すって約束から始まってたなぁ…それくらいチップって馬鹿にできないものなんだよね、アメリカでは。
まあ、僕のアメリカでの初恋は実現しなかったが、しばらくして、彼女をちょいとおキツネ眼にした、ちょいと若い頃の山口智子に似てる女の子と仲良くなった。今度はベトナムの隣国のラオスの人だった。
もし、ベトナム人の彼女ができてたら、僕にはラオスという、貧乏なんだけどやたらと愛想がいい人たちが住む国とのご縁はなかったわけだ…だから、まあいいか、と思う。
そのご縁のために、日本語教師資格を、ラオスと日本との友好に使っていければな、なんて思ってるし…
このデジログへのコメント
> niconicoさん
でも、それがご縁というものなんですよね。
まあ、深入りする前だったのでキズはないですよ。
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