- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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幸福
2011年12月13日 20:40
幸福は快楽や快感と関係ない。
快楽や快感は、単に気持ちいいだけだ。まったく関係ないかと言えば、そうでもない。幸福であるなら、気持ちいいからだ。似ている面もなくもないが以て非なるものだ。
快感はあるいは快楽は刺激によるものだ。一番いい例は性的快感だ。しかしこの性的快感も刺激だけでない、そこに淫らという最高の想像力が加わって初めて、快楽の火焔に油を注ぐ。
このそう想像力が少なければ快楽も低くなる。快楽や快感はしかし、刺激を続けている間だけだ。刺激の継続を止めれば、快楽もまたなくなる。
幸福は刺激によらない。刺激がなくても幸福はある。
幸福とは人と人との関係である。仲良い関係であれば幸福になる。愛情があれば幸福になる。
だから、未開人も幸福はある。サルも集団でいるが喧嘩しなければ幸福だ。
あなたが軽蔑する、ビンボウニンだって、貧乏人同士仲がよければ幸福なのだ。
イエスやマザーテレサに死に臨んで手を握られた飢えている人々も、握られているひととき幸福を味わった。
そうすると、愛し合う恋人同士がセックスの最高の快楽で頂点に達したとき、幸福と最高の快楽、両者を手にすることになる。
反面、ヒトはセックスをしなければ精神の正常を保てなくなる。
愛情のないセックスも当然成り立つ。これが大部分。ヒトは最低、セックスの快楽だけでも満足しなければならなくなる。セックスの快楽はヒトの生活には欠かせないものだからだ、ま、食事と一緒だな。
生命の維持には食事が必要だ、精神の維持にはセックスが必要だ。
これらは幸福と関係ない。
一人でも食事できるし、一人セックス、オナニーができる。
本来、食事もセックスも相手を要する。相手、他者、つまり、そこに人と人の関係が発生する。好き嫌い、仲良い悪い、そういったことは必然的に発生する。仲のよい人間関係が幸福だ。
職場でも学校でも人間関係がうまくいくと、幸福になる。
人間関係がうまくいっていることを、幸福という。
ヨーロッパではキリスト教が主体だから、愛という概念で前提する。お互い当然隣人を愛せば、幸福になる。
ブッダはこれを慈悲と言った、孔子はこれを仁と言った。中身は同じだ。ま、愛だな。日本人はスケベだから、愛の概念をエロス、性愛でしかとらえられない。愛とはシンパシー、共感なのだ。
シンパシー、愛があればヒトは幸福になるに決まっている。貧乏であろうとなかろうと。野蛮であろうとなかろうと。
教養があろうとなかろうと、文明人であろうとなかろうと。
白人であろうとなかろうと、黒人であろうとなかろうと、人種は一切関係ない。財産をもっていようがいまいと関係ない。
ヒトが仲良ければ簡単に幸福が味わえる。ブータン国王夫妻のようにナ。
ここに不幸がある。
生まれて孤、老いて独、孤独だ。残酷である。孤児と身寄りない老人。
だから、あなたが幸福なら、
戦争孤児、震災孤児、ホームレス老人をつくってはならない。
つくれば、幸福が恥になる。
さ、オレはありあまるほどのアイがあるから、女のケツでもさがそ。
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