- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
西洋寿司
2011年12月12日 17:57
50年前の大晦日に、叔父に連れられて妹と3人で東京に行った。東京は初めてだ。
父の妹が結婚して2年経っていた、うんで遊びにいった。西麻布だ。
渋谷に二番目の叔母が迎えにきていた。渋谷駅でビックリしたのは都電の架線が蜘蛛の巣のように空に貼っていた。
渋谷から都電で霞町まで行った。外苑西通と六本木通りの交差点だ。
当時の東京はすごかったな、見るもの聞くもの心臓がバクバクだったナ。地面の下に電車が走っている。ビックリなんてもんじゃない。定番のごとく東京見物した。東京タワー、後楽園、日劇、有楽町。気が狂いそうだったな、今の、デズニーランドなんてもんじゃない、オレには東京がデズニーランドだった。
叔母が嫁いだ先では、亭主の母親が、ま、姑だわな、西洋寿司をやっていた。舅が帝国ホテルで外国人のために生寿司でなく、生の刺身を使わない西洋寿司を考案して人気を呼んでいたらしい。
嫁ぐ前の話だから、もうとうに舅はなくなっている、
うんで、姑が一切を切り盛りして、西洋寿司を続けてた。
自宅で細々と出前で営業していた。何せ由緒が帝国ホテルの客人だから、客に困ることはない。客の一人に皇室がいた、今の天皇の親父、昭和天皇がこの西洋寿司が大の好物だったらしい。ホントかどう知らない、本人が言うんだから、そうなんだろう。
で、この西洋寿司を初めてここで食った。言い方を間違えた、食した、召し上がった、というとこかな。
まず驚いたのは、冬であるのにトマトキュウリがあるということだ。オレの感覚では夏しかない。皮をむいであるからそのうまさ、この上ない。椎茸、卵焼き、ハム、などなど。
それはそれは旨いばかりでなくかぎりなく上品なのだ。卒倒しそうなほどだったな。つまり、当時、敗戦からしばらく立ってからだろう、生ものが食えないアメリカ人や外国人のために、日本で一番人気の寿司を西洋風に仕立てたのだろう。これが彼らに評判をとった。ついでに心ある日本人にも知れ渡るようになった、ということかな。
だから、西洋寿司は一般的でない、知られていない。寿司と言えば江戸前のにぎりだから。
それを姑が元気なうちまで、確か昭和40年頃までやっていた。それ以後は客に出す営業は止めて、自家用の祝い事や行事だけつくっていた。
今、オレの妹が実家を継いでそこで細々と、西洋寿司で店をやっている。
もし、興味のある方は、東日本震災のボランテアの帰りにでもよってごらん。郡山の国道49号線と逢瀬川のホテルルートイン郡山の川に沿った東側だ。行けばすぐわかる。ほとんど女性客だ、評判は悪くない。
オレが全部ごちそうしてやりたいが、ヘンに勘ぐられるあなたは迷惑じゃないか。
このデジログへのコメント
コメントを書く