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レンブラントのエッチングを150枚以上も見た

2006年04月14日 08:33

家人が地元の美術協会に入っているものだから様々なギャラリー美術館の案内が日々、郵便箱に入る。 時間があれば時々覗くのだけど、今年はレンブラントの誕生400年だとかでその案内が入って、レンブラントが生まれ育ち、修行して20代の半ばにアムステルダムに出るまで修行した町の美術館で一番早くから晩年までの主なものを一挙に150枚以上集めた展覧会があって夕食の後2時間ほど見に出かけた。

オランダに長く住んでいるるとレンブラントはあちこちで見るし、それこそ、ぞんざいに扱われていて驚くほどの展示をみたのはもう20年も以上前のこどだったが、さすがに近年は国内でも世界の文化財の意識が一層強くなったのかそれなりの展示がなされている。 パリロンドンブリュッセルベルリンミュンヘンカッセル、など等、様々なところで油絵などは見たがエッチング美術の中でも地味な扱いで、華やかには扱われていない。 もう15年程前に数寄者が一つ欲しいと言ってそれを世話したことがあった。 油絵など何億円もするのだからとても手が出ないのは分かっているが、エッチングとなると複製美術でもあり、1630年代から精進してきて様々な意匠で本人もばら撒くようにして顧客の求めに応じ、自分の習作をも様々なインク、紙、特に中国紙和紙をも使ったのも今回見たのだが、その違いをガラス越しに紙から5cmほどの距離でよく見てなるほどと納得したものだった。

昔、美術学校でそういうプリントの教師をしていて自身でも浮世絵コレクターでもある知人からいろいろ教わっていたのでそういうことも役に立った。 その知人がオランダテレビ骨董番組でもながく目利きをしていてレンブラントエッチングを沢山持っている人に渡りをつけて交渉になったと記憶しているのだが、まあ、レン氏が生前自分でプリント弟子たちにやらせ、没後は基になる銅版を持つ者がそれぞれの時代にプリントしてそれで儲けているらしいが、勿論、描かれた題材にもよるのだが、主に紙の種類で時代を判別し、大まかに言えば、それで値段が決まる。

インクと線の状態、紙、それが判断の材料になるのだが複製であるから値段はそれこそ17世紀から19世紀にプリントされたものまでたくさんあり、古いものほど値が上がる。 よっぽど信用でき、鑑定書の付いた物でないと、もちろん本物であるのはいうまでもないが、不当に高いものをつかまされたりする。

で、その数寄者の希望ははがきの大きさより少し大きいもの、18世紀前半までにプリントされたものだったのだが、値段を聞いて夫人が交渉に介入して、待ったをかけた。 代価が新車1台分ではこれから日本に帰ってからは歩いて暮らさねばならないとと言い、夫人に頭の上がらない数寄者はレンブラントをその光と影のかなたに涙をのんで残して日本に戻った。

そういうことをヘッドホーンの解説を聴きながらそれぞれのエッチングに鼻を擦りつけんばかりにして眺めていたときに思い出がよぎった。 

初めてレンブラントの名前を知ったのは学生時代野間宏の小品「暗い絵」だったかと思う。 これには捩れが幾つもある。 実際は私のイメージでは暗い絵はレンブラントであるのだが、野間の作品でピーター・ブリューゲルであり、さらにはこの作品はブリューゲルの題材、また、その印象とは関係なく日本の社会、人間のあり方が問題となっているものだ。 だから、それであれば光と影、闇の画家レンブラントマッチすると思っていたものだ。 ブリューゲルもあちこちで見たのだけど、ヒエロノ二ムス・ボッシュならまだしもブリューゲルでは解せないところがある。 ただ、社会主義者の野間の農民画家のブリューゲルということで繋げようとするのであれば強牽が過ぎるように思ったものだ。 けれど、それもかなり前のことで今となっては記憶も定かでない。

それはともかくとして、この25年様々なところでレンブラントを見たが、油絵を初めてみた印象は今でも変わらない。 近くで見るとその刷毛の動きが、印象派のもので17世紀の彼の同時代のものとは思えない。 それは自己を完成してからの作品のことで若描きのものは同時代の画家の様子もうかがえるのだが、後年の闇、影、光のなかに浮かぶ様々な人物、様々な意匠抽象画に向かうものだ。

職業画家であるのだから、注文のポートレート宗教的なもの、個人の記念碑的なものが多いのだが、今回のレンブラントの軌跡をエッチングで辿るのは興味深いものだった。 特に人物の顔が馴染みの女性、男性像があらわれたり、当時の人物の顔つきも面白く、裸像では裸婦の見方、当時の美観が写実に現れて、ある意味ではひきめ鉤鼻、の日本中世の美観を現代に見せられるのと対照的なようなものだと、これも牽強付会と言われそうだが例にする。 それに、一枚の銅版にいくつもの人物の動きをスケッチしたものはそれから200年もあとで東方の島国で広重北斎が描いた市井の人々の姿に比せられるようだ。 だた、エッチングの人物像が初期には往々にして頭と体のバランスに不都合があったのには、ゴッホの人物のバランスに比べられるようで誠に興味深いものだった。

その点に関してはレンブラントよりも200年ほど前に活躍したアルブレヒト・デューラーの、意匠は別にしてドイツバランス両国の典型を見るようだ。 勿論、デューラーは銀細工師を父親に、レンブラントは粉引き風車守をと生まれの違いもあるのだろう。

この展覧会で一番新しくコレクションに加えられたものとして解説されていたのははがきの半分あるかどうかといった大きさの中に描かれたブリューゲル的題材だった。 中世の小麦を刈り取る農夫を背景に背丈ほどの実った小麦の葎に女を押し倒してことに励む僧の姿である。 解説では、僧の聖書を葎に押し込んでそのそばの地面におしつける僧の腕、指の角度に佳境に入るようすが伺われる、とヘッドホーンから流れるのだが、それを見るために皆が鼻を押し付けるばかりに眺める様子がおかしい。 いつだったかもっと露骨な小便をする夫人、というレンブラントのものを見たのだが、これは実はもっと奥の深い、大便をも付け加えたスカトロジーの世界的なもので、これをも同時に展示していればもっと面白いものになっているのに、とも思ったものだ。

階下ではレンブラントに触発されたといわれるピカソエッチングが13,4枚展示されていたが以前に何回か見たこともあり、今回は見る気もしなかった。 入り口の職員と立ち話をしていて日本語の解説も準備中らしいが、近年は韓国人、それに加えて中国人観光客の数を皮算用していると聞いた。

そのあと9時前に美術館を出て一旦うちに戻り車でハーグジャズカフェへ出かけた。 ハーグオランダ首相の執務室の隣にレンブラントフェルメールを納めた美術館があり、そのすぐそばに駐車してカフェに向かうほぼ毎週のルーティーンとなったのだが、さすがに、この日は歩くところから10mも距離を置かないところにレンブラントが何枚も架かっているのだなあ、と日頃は意識しないことが浮かばれたのだが、人通りがない美術館の通りをあるくと一層、濃い闇が迫ってくるようだった。

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