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バウンス ko GALS ; 見た映画 Apr. ’0

2006年04月08日 06:48

バウンス ko GALS    (1997)


109
松竹松竹富士

監督:原田眞人 
脚本:原田眞人 

出演: 佐藤仁美
佐藤康恵
岡元夕紀子
役所広司
桃井かおり
    今福正雄


日本と時差のある国に住んでしばしば、日本の深夜、インターネットチャットサイトをいくつか訪問していると、全て匿名で話が虚実ない交ぜの様子が見えるのかと思えば、その匿名性の故かそれに安住してか、かえって、大人になりきれていない若者生の声が出てきて戸惑うことが多い。

実際、80年代後半からそのような風俗、日本の若者の様子を主に文芸、各種読み物、雑誌などを通して情報としては承知しているのだが、たまに入ってくる欧米ドキュメントテレビで観ているとしばしば掻靴痛痒の感があり、今までこの映画の名前だけはどこかで見たのだけれどその題名から、今では少々古くなった言葉のコギャル、そして援助交際、といった言葉にも連想が行き、そういったことに関係があるのだろうと想像した。

途中でストーリー大団円ロマンチックなつくりに思わず落涙するところもあるものの、アメリカに自分の将来の夢を託すシンデレラ主人公の扱いには、その古典的な構図に少々戸惑いもあったのだ。 しかし、構造のしっかりとした映画だ。 説明がうまくついている。  援助交際の元締めとも言うべき女子高生の上手な説明、性を売る古典ビジネスマンの元締めやくざに対する自分たちの存在の意味を説明する部分は知的で饒舌だ。 それを聞くやくざ、役所には屈託がありそうだ。 カラオケインターナショナルをうたい、また、このやくざに絡む、シンデレラ娘がその場で脱いだ下着を販売する店の女主人、桃井もこのやくざ学生時代をともにしたようなことを示唆する。 

私が今住む国のことを忖度すると教授と呼ばれる今福正雄の過去が興味深い。 戦中の慰安婦を取り仕切ってきたという男の今になって罪状が問われるという理不尽さを主張するところに女主人公は正義をもって対するのだが、カットは早く流れ、音声は聞かれない。 

80年代後半から90年代前半にかけてのバブルの気配を残す世相、それはマスコミでも採り上げられ、膨らまされ、バブルにはじける団塊の世代の親、子両方の相をあぶりだす。 女子高生やくざとの対話で、金じゃない、というのが繰り返されるがこの中で扱われる金額は経済のインフレ状態を示し、却ってビジネス専門家やくざの方がまともに見えるところもある。 最後の大団円に持っていくスピードが二時間弱と続けばめまぐるしいが、日本社会のディズニーランドに迷い込んだ気分になり複雑でもある。

2006年の現在、こういうことはあるのだろうか。 まあ、あるのだろう。 確かに日常、インターネットで年少の若者たちが知人、不特定多数に自分で撮った画像を見せるべくしつらえられたサイトにはさまざまな画像が載せられるのだが、いかがわしいものも多数みられる。 アニメ少女いかがわしい姿が特徴的かもしれない。 成熟した女性写真はかえって少数派であり、現実世界とは別の夢の世界のシンデレラを求めているように見受けられる。

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