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桜の森の満開の下; 見た映画 Apr. ’06 (2)
2006年04月10日 09:59
桜の森の満開の下 (1975)
上映時間 95 分
東宝
監督:篠田正浩
原作:坂口安吾
脚本:富岡多恵子
篠田正浩
美術:朝倉摂
音楽:武満徹
出演: 若山富三郎
岩下志麻
西村晃
笑福亭仁鶴
伊佐山ひろ子
丘淑美
愛する故の孤独と恐怖、と予告編にある
この原作を読んだのはもう35年以上前だったろうか、題名と、ほのかなイメージが残っていてそれは山姥のものだったのだが、まだ大人になっていない自分には堕落論や日本文化論、褌を洗う女、なども読んでいただろうものの坂口の意図もはっきり理解できていたかおぼつかない。
読み返してもいない。 それに富岡多恵子の脚色だというから彼女は日本文化、笑い、男女間の機微に精通していて辛らつな文を書く人なのだからここでは坂口の原作に様々な意匠を凝らして篠田、富岡版の「桜の森の満開の下」となっているのだろう。
75年の作だというからその当時には見てはいない。 大体その頃テレビも映画も殆ど見ていなかったのではないか。 けれどどこかで当時、さまざまな話題を提供してスターらしかった勝新太郎の兄、若山富三郎の映画かテレビドラマでいたく感銘を受け、私生活でもその当時の美人女優をかいなに抱えた若山の深い俳優演技に関心していたものだ。
篠田にしてみればちょっと思い出すだけでも既に平安時代に題材を撮った先人のモノクロ「羅生門」や「雨月物語」が定本としてあり、みごとな色彩の野外ショットの連続はまさしくモノクロで「心中天網島」を撮った後の華麗な絵巻物であり、奔放な岩下の妖しい魅力を充分引き出した作品といえる。
私事、中学の2年、3年と吉野の林間学校を経験し、西行が庵を仕立てた場所や、とくとくの水、といわれる泉のあるあたりのたたずまいに深く印象つけられ、春には一度来て見たいものだとの希望は今でも暖めている。
高校時代には旧制中学でその後高校となった敷地内に、忠臣蔵の講談に名前も出てくる大名が住まいした、また、体育の時間には周回させられた堀と、戦後コンクリートになったといえ図書館を納めた天守閣をもつ堀端の美しい夜桜を何度も経験している。 大学時代は、春爛漫の城下町、といわれた大学の上にそびえる城山に建つ天守閣下の花見も経験し、バイクでその季節に200km以上を桜の花を追って四国の県庁所在地の城下町をそれぞれ走ったこともある。
もっと古くは50年ほど前の幼少時、トラックの荷台に材料一切と30人ほどの親戚縁者をのせて一家の花見にでかけたことがあり一日、地元の名所で飲めや歌えや踊れの宴会をして、それに飽きると酔いつぶれたものは残して、皆、野に出て山菜、蕨採りに遊んだものだ。 5,6歳の頃だったろうか。その後、日本を出る前には根来寺のほぼ無人の花見も経験している。
だから、ここに出る景色、桜の深みは大江健三郎の森のイメージとは別の坂口の森とは無縁である。
妖艶なエロス、を言えば、首をもてあそぶ美女、ここでは戦国時代に首実検の敵方大将の首を弄ぶ、谷崎潤一郎の「武州公秘話」のエロスに通じるものもある。坂口の作では、この中で主題となる男女のツナの引き合い、権力をめぐる男女間の政治、というものが描かれているのだろうか。 富岡の解釈が強いような気がする。
ここいくつか観てきた映画の中でいくつか武満徹の音楽が出てきているが、ここほど武満的、それは空間処理、というようなものだけれど、見事なまでに桜の景色と一体化して桜の禍々しさを表現しているものは少ないように思う。
あと1ヶ月もしないうちに今住む近所に八重桜の中木が20本歩度並んだ静かな並木が枝もたわわな満開となる。 そこは歩くというより自転車で通ることが多いのだが毎年この頃には通過する速度が俄然落ちて見上げながら4,5日の命を惜しむのだ。
細かい花で山桜然とした裏庭の木を倒したのは昨年だった。
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