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たまにはこういうこともあるのだな 9−4−6

2006年04月21日 08:21

息子ホッケーの遠征試合の場合には他のチームメイトの父親3人とそれぞれが3,4人づつ車に分乗させて長くても1時間ほどの道のりを出かけるのだが、それが今日の土曜は午後1時からで、試合後半から青空日差しも出て気持ちよく一面の牧草地のかなたからほぼ2kmにわたって4基の風車が稼動しているのが一望に見えるところを気持ちよくドライブして帰宅したら5時だった。 

試合の勝敗は別として、こちらの応援団3人、相手方20人ほど、という田舎試合なのだがそれぞれ子供をもつ親たちの四方山話を相手クラブカフェテリアで試合が始るまでの40分余りあれやこれやと話していて、そのひとりは空軍将校であったのが退役して軍関係の会社を持ち、NATO縮小と財政縮小から閉鎖になる近くの軍用空港の処理をする仕事をしているという。 施設を売却するのでさまざまな外国の空港関係者と折衝があり、それぞれの国のお国柄、ビジネスの癖というものを面白く聞いた。 別の親はヨーロッパの各地にある物流のチェーンの渉外担当らしい、先週はこれから一層欧米化する旧東ヨーロッパ諸国への拡大のためにブルガリアに出張してきたのだという。 そこでもその国情と商習慣、国柄のようなことをまた面白おかしく聞いた。 試合が終わって選手たちが着替えている間に空港関係の親の携帯電話が鳴り、その空港に先ほどスポーツグライダーが墜落して2名が死亡、空港の一部が炎上中と連絡が入り、とりあえず処理の為に子供たちを自分のクラブに送り届けてそちらに直行すると返事していた。 夜中のテレビニュースの映像では建物には異常がないもののグライダーは黒焦げになっていて原因は調査中と報道された。

それからてきぱきと家族に食事をつくり、アムステルダムまで例の如くジャズを聴きに行く。 この習慣は昨年の10月に始って、通常の9時の開演にゆったり間に合うようにするには食事の後ちょっと急いで7時14分の急行に乗ればよい。 駅でコーヒーを買って1車両に一人か二人のがらがらの二階建て電車、ゆったりソファーにかけて40分ほど音楽を聴きながら文庫本を読んでいればいいわけだ。 夕方の8時前というのは今までは暗かったから、窓の外を見てもなにもない。 けれど、夏時間になり様子が代わってきた。 例えば寒い時期には闇の中でもいくつか明かりが見えたり、建物がときどき現れ、自動車道の街灯がはっきり連なって見えるわけだが、そういう闇夜の姿が今はまだ夕方にもなっていないという明かりの中で全く別物に見え出したのだ。

現代的なつり橋は暗闇の中でも大きなマストから両方にケーブルを何本も伸ばして二等辺三角形を形作り、マスト上から両方、等間隔におろしたケーブルにはイルミネーションがついているのでそれと分かる。 しかし、明かりの中ではそれは運河を跨ぐものではなくて別の道路を立体交差させるためのものでその周りのポプラのような並木が続いていることやまわりの農地の様子もはっきり分かる。 今までの想像の闇に光が射し視界が開かれるのだ。 今日は読みかけの本を閉じてぼんやりと車窓の両方にひろがる畑のすこし黄ばんだ光に照らされる景色の方に魅かれて眺めていた。 アムステルダム中央駅に近づくにつれ、或る所では漆黒の闇だったところが今は金網に何重も囲まれた拘置所があるのが見えたる。 又、二週間前なら通過する暗い駅のプラットホームに待つ人はほとんどいなかったにもかかわらず今はそこには沢山の人が向かい側で列車を待っている。 これでは、明るくなるに連れてまるで冬眠の動物が陽が出ると表に現れ始めるといった趣である。

ここまでが今日の話のマクラである。 大きい枕である。 もうかなり眠くなっているので此処までいいような気がし始めているがタイトルをああした以上話終えないといけないだろう。

もう何年もこの国に住んでいるといろいろ思うこともあるし、あちこちで日本人らしいとみると話しかけてみることにしている。 それは自分の目を確かめたいという動機からでもある。 経験的かつ図象的にアジア人のなかでインドネシア人、韓国人中国人、ということはわかりそうだ。 けれどそれは、はっきりとした骨格、顔かたちはあるけれど大抵は服装で決まる。 若い人たち、ジーパンT−シャツだけになれば判別に苦しむ。 こういうことから、先ずは自分の感が正しいか否か確かめることにしているのだが、それは、日本人だなと思ったらこちらから話しかけることだ。

今ではなかなかそれが当たらない。 中国人であったり、韓国人インドネシア人である。 今日の場合は年配の男性、服装ジャズハウスのCDショップでの様子から日本人と見た。 値段のことを店員の女性とやり取りをしていて、どうも分からないらしく、そこに日本語で手助けをした。 60以上の年配でフリージャズを物色する、日本人とみえる中国人インドネシア人には今だに会った事がない。

コンサートの帰りの夜汽車でこれまた1車両に何人もいない中に日本人とみえる女性が通路を隔てて向こう側に坐っていたので話しかけたら、その通り、日本人だった。 それもこちらに何年も住んでいさそうな雰囲気がした。 話しかけるとその通りで、逆に、なぜ日本人だと分かったのか聞かれ、服装雰囲気だと応えたのだが、こちらに住む30代半ばの女性が纏いそうな服装をしていたのだ。 クラシックピアノを弾く人だそうで、30分ほどジャズクラシックピアノの話をして別れた。

このように1日で日本人に2回も会うというのは珍しいことなどで此処に記すことにした。

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