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コロッサル・ユース ペドロ・コスタの新作

2008年05月31日 19:52

ヴァンダの部屋」のペドロ・コスタの最新作(といっても2006年制作)です。
邦題は「コロッサル・ユース」、英語題名は「colossalyouth」、ポルトガルでは(つまり原題は)「Juventude emmarcha」で、フランス語は「En avant,junesse」です。つまり、もともとはの題名は「若者たちよ、前へ(前進せよ)!」だったというわけです。
ところが、映画の内容は単なる現状への叛旗を促す内容ではなく、むしろ自らを失った人々(主人公のヴェントーラや、彼を捨てた妻クロチルド(「あるいは、彼女に似た女」)、彼が子供と呼び、彼らも彼をパパと呼ぶヴァンダやジータその他の若者たち、の魂をすくいとったものではないかと僕は思います。
 映画の冒頭で、そそり立った古い建物の階上の窓から、次々と家具が押し出され、地面に激突し、乾いた音響を次々と立てつつ破壊されます。
 そして、次は芝居の独白のようにクロチルドのセリフがはじまります。ナイフを持ちながら彼女の若いころのエピソードをしゃべるのです。
 その次のシーンからヴェントーラの彷徨がはじまります。
 彼は自らの子供たちと考えるベーデ、ヴァンダに会いに行きます。その会話から、ヴェントーラはクロチルドもしくは彼女に似た女ににナイフで手を刺されたこともわかります。
 ヴェントーラがなぜ妻のことを「クロチルドか、彼女に似た女」と表現するのかも不思議です。彼女の存在の不確実性を表すとして、彼自身はどうなんでしょうか?たった一人なのに、大世帯用の新住居を役人に案内してもらうのはなぜなのでしょう。
 暗い小屋の中で(「ヴァンダの部屋」でも出てきた)レントに詩を覚えさせようとするヴェントーラの思惑は?
 その詩はというと、上記のサイトでも掲載されていますが、
「ニヤ・クレチェウ、愛しき妻へ。
今度会えれば30年は幸せに暮らせるだろう。
お前のそばにいれば力も湧いてくる。
土産は10万本のタバコと流行のドレスを10着あまり、車も1台。お前が夢見る溶岩の家、心ばかりの花束・・
だが、それよりも、ワインを1本飲んで、おれのことを思い出してくれ。
ここの仕事は休みなしだ。

愛する妻よ、俺の手紙は着いたか?
お前の返事はまだ来ないが、そのうち届くだろう・・・

 
 この詩を理解するのに重要なのは例によって、ヴェントーラがフォンタイーニャス街の10人であり、彼の出身はカーボ・ヴェルデ島だということです。つまり、この詩は、自分が出てきた島への哀愁の叫びであり、一緒に出てきた妻へのラブレターということなのでしょう。
 彼は妻に去られ、仕事もなく、さまよっており、何もかも失われたようではあるが、希望はかくのごとくあるのである。
 だからこそ、ヴァンダの幼子を子守するためにヴァンダの家のベッドルームで眠りこけ、寝言(うなされる声がかすかに聞こえる)をいう彼の姿で映画は終わるのでしょう。
 あの手紙も、人物も、過去のコスタの作品や彼自身の経験を織り込んだもの、さらにヴェントーラ自身の手紙に由来する多重な文献からなる断層であり、たくさんの解釈を生み出すものですが、終わりに近づくにつれて、なんともいえない不安感を見る人(僕のことですが)に与えたものの実体はなんだったのでしょうか?
 何度でも見たい映画です。

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