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陰りのない部屋で、セックスはできない、と思う。

2008年04月16日 21:49

陰りのない部屋で、セックスはできない、と思う。

たとえば誰かの姿を描くとして
一般的にその描き手であるアニメーターは、キャラクターのパーツひとつひとつに、ハイとロー、二つの色を用意する。
らしい。(「アニメーションの色職人 」を読んだだけなので)
なぜか。
二次元の像に、立体感をもたせるため、ひいては現実感、リアリティや躍動感、つまり画に命を与える、アニメートするためである。
それはどんな人物を描くことにも、共通した、基本的なメソッドである。

どんな高貴な人間であろうと
あるいは名も無い市井の民であろうと
表面に現れた、誰もが容易に知る事実、「ハイ」の部分だけでは、その人物像は描けない。教科書に出てくる人間の像がつまらないのは、そのためだ。
つまり、人物を描くには、「ロー」の部分、陰翳というものが不可欠なのだと思う。ボクはその、ほの灯りの反射光の中にわずかばかり浮かび上がる微かな黒の諧調に、その人の暮らしや思いを感じ取る。否、その部分にしか、人生を感じないのだ。
 たとえば今、身の回りに目を向けるだけで明らかなのは、立体は翳りを持つことで初めて立体として目に映る。
そしてその翳りは黒一色ではない。
限りない無限の色合いでできている
ボクはいつだって、その翳りにほだされる。
・・・否、それもウソだ。
ボクは翳りのない像というものに、興味がないか、嫌いなのだ、多分。
あっけらかんとした明るさの裏側にある、誰にも見せない、ひけらかすことのない、隠そうとしても、隠し切れない、陰翳。その部分に惹かれ、目を凝らしたくなるのだ。
 教科書の人物像、だけぢゃなくて、「自伝」ってのがつまんないのも、だいたい、そんなところに、原因がある。どんなに波乱万丈のストーリー捏造したところで、自分の陰翳なんて、描き出せるわけがない。だって、人間誰だって、肉親にさえ語れない部分を持っているものだから。語りきれない恥部を語りきったやつなんて、いない。呻くように搾り出される苦しさの言葉ではなく、堂々と語れる挫折や苦しさなんて、幸せ自慢とおんなじ、自分を飾り立てるための、アクセサリーみたいなもんだ。だから・・・ 

苦手なんだよなぁ
自分のそんなワタアメみたいな味わいの幸せにさえ、無自覚な人間・・・。明るさばかりに目が馴れて、人の翳りを見る目を喪ってしまい、そのことにさえ、無自覚な精神。
 おたずねしてもいない幸せを、語らないでね。お願いだから。

 訥々と、亡き人の幸せの日々を語る言葉に滂沱の涙を流し、ベストセラー作家のご機嫌に安堵の胸をなでおろし、携帯っ子を名乗る自称不幸な女の言葉に、果てしない嫌悪を覚え、借金の総額に言葉を失い、心の激しいアップダウンに、息も絶え絶えで、つい居眠りして日付変更線を越えてしまった一日でした。

 合掌。

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