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4ヶ月、3週と2日 ルーマニアの近代史を知らないと・・・

2008年03月03日 14:30

4ヶ月、3週と2日 ルーマニアの近代史を知らないと・・・

初日の初回に銀座で見ました。40分前に行ったら3番目だったのですが、それからドドーッと人が集まり、おそらくは満員だったと思います。
おもしろかったのですが、すごくおもしろかったかというと否です。
つまりチャウシェスク時代のルーマニアの社会状況を知らなくてはなりません。なぜ、闇で中絶しなくてはいけないのか(国家が子供を産むように押し付け、中絶は禁止され、たとえ中学生でも妊娠出産をするようにされた時代なのです。また中絶は禁止され、したがって避妊用の物品(コンドーム)なども出回ってなかったのです)、そもそもこの映画の大前提がたぶん、映画の鑑賞者にはわからないと思います。(たとえば「君の涙ドナウに流れ」にしろ、この映画にしろ、こういった当時の情報は「世界」や「朝ジャ」などには取り上げられていたのですが、一般の日本のマスコミにはまったく取り上げられていませんでした。むしろ社会主義を敵視する一部週刊誌のほうが、こういった面をとりあげることが多かったと記憶しています)ですから、主人公のオティリアが友人ガビツァのために中絶の手助けをすることがいかに危険なことなのかということは、その子供の命にかかわることだけでなく、ガビツァだけでなく手助けした自分や闇で中絶をしているべべの命にもかかわるのです。
 たしかに、このガビツァは自分が中絶をしておきながらホテルの予約も満足にできず、中絶を依頼する相手の吟味すらしていません(女性だとおもったらべべは男性だったのです)。しかも、べべに2か月といっていたのに、本当は胎児は4か月(題名はここから来ます)で、こんなウソすぐにばれるのに、それさえ分かっていないという有様です。オティリアのいらだちはもっともです。
 オティリアのいらだちはそれだけでなく、ボーイフレンドのアディにも向けられます。何しろ、危険日だというのにアディは自分の欲望にしたがってオティリアの体をもとめ、一方、結婚すればいいという考えなのです。
 べべにうまく中絶をしてもらうために、友達のために自分の体さえ差し出したオティリアの気持ちはどうだったのでしょうか?
 中絶したあとの胎児をオティリアは始末するわけですが、ことあたりの撮影が秀逸です。恐怖と不安にゆれる画面。
 そして、中絶が行われたホテルでは、あっけらかんと食事をするガビツァ!
 一挙に、僕たち観客の感情も弛緩するのですが、短い会話で映画は終わります。

 女性の心理を描いてはいるのでしょうが、普遍性ばかりを打ち出してはいけないと思います。特殊な国の特赦な環境の中での物語でありながら、幾分かの普遍性を見いだせるというのが実際のところだと思います。
 いずれにしろ、観て損はしませんが、見る側にも非常に努力を強いる映画です。

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