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大谷最後スライダーでトラウト三振で鉄腕稲尾を思い出す。

2023年03月23日 11:11

大谷最後スライダートラウト三振で鉄腕稲尾を思い出す。
昨日のWBC、大谷スライダートラウト三振。
スライダーで思い出してしまった。
スライダーと言えば鉄腕稲尾の決め球だった。逆シュートも得意でしたがやはり稲尾スライダー
鉄腕稲尾和久を知らない人はかなりいるだろうが、日本のプロ野球史上最高のピッチャーです。
決して金田正一ではありません。
その賞賛さは神様仏様稲尾様に表れている。
1958年巨人との日本史リース初の3連敗4連勝の立役者となった時に送られた言葉である。
7戦の内6戦に登板、4勝全てが稲尾によるものだ。
その時ファンが稲尾に向かって神様仏様稲尾様と叫んだのが最初となったと言われている。
村上が村神様と言われているが、神に祭り上げられたのは稲尾が最初です。
稲尾は初陣である1956年から1964年までの8年間で234勝をあげている。
1960年を除き全て60試合~70試合を投げている。年間130試合だから半分以上登板していた事になる。
特に1961年は年間78試合に登板42勝をあげている。
自分もその時の事を良く覚えています。
稲尾は当時先発、リリーフ、救援全てにもれなく登板していた。
救援で稲尾の登板がアナウンスされると、球場がどよめくのですよ。
それは相手チームの落胆の声です。無論ライオンズファンの歓声もありましたが、この何とも言えない
どよめきの方が今も印象に残っています。
「せっかく追い上げて来ていたのにうわー又稲尾かよ。これで今日は負けだー」という諦めの声なのです。稲尾は1mmの穴を通すと言われたコントロール武器でもありました。
審判も際どいコースは稲尾だからなーという事で皆ストライクーになる。
それでも相手チームのファンは、稲尾だからストライクなんだろうと思いやじも出ないのですよ。
当然その試合西鉄の勝利となるわけです。
まあデビューから8年間酷使されてわけで、いくら鉄腕と言えども1964年に肩を壊す。
その後復帰はしたが、本来の切れ球威は無くなり、勝ち星も従来より上げられなかったが
復帰後5年間で42勝をあげている。通算276勝
デビュー後の8年間が正に稲尾でした。残り5年間は稲尾ではありませんでした。
それでも稲尾は酷使されたのにも文句は言わず、肩を壊した後の5年間も精一杯のピッチング
見せてくれました。稲尾は引退してから肩を壊した後の5年間の42勝が自分にとって
素晴らしい宝物だったと言っています。
稲尾ロッテの監督時に落合稲尾に真に師事していた事は有名な話です。
稲尾が監督を辞める時、稲尾さんがいないロッテにいる理由はない。と言って落合中日に移籍を決めました。稲尾はとても真摯で相手の悪口など言う人ではありませんでした。
稲尾愛称はサイちゃんです。
自分も稲尾の事を仲間と話題に上げる時にサイちゃんの愛称で呼んでいました。
サイの目(目が細かった)のように優しいという所から来た愛称ですけどね。
チームが苦しい時に嫌な顔一つも見せず登板した稲尾。肩が壊れそうでも登板した稲尾
チームが勝つと予測した時に「俺が行くぞ」と言って勝ち星を積み上げたピッチャーとは根本から違います。勝ち星の重みが違うわけです。
だから稲尾こそが日本史上最高のピッチャーなのですよ。

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