- 名前
- haru3dayo
- 性別
- ♂
- 年齢
- 43歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- 俺のセックスの基本はクンニです。 ペロペロさせてくれたら、その後は快楽の海を漂わせて...
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【お題日記】優しいだけじゃイヤ?
2020年06月02日 22:37
優しいだけって、俺は相手の状況や経験によって違うと思っている。
なんて…今なら言えるけど、高校時代は、ひたすら女性には優しくしなくちゃ!と思っていた。
何度も日記に書いているけど、俺の高校時代は週末しか自分のベッドに寝ていないというほど夜這いをしまくっていた。
夜這いを始めたキッカケは、これも以前日記に書いたけど、女子大の寮で女子大生のオモチャになっていた俺を救い出してくれた寮母さんから、付き合っていた大学生に相手にされなくなった女子高生の相手になってくれない?と頼まれたから。
しかしそういう理由での付き合いだったので、付き合っている事は秘密にしなければならなかった。
そこで取った手段が夜這いだった。
夜遅く相手の部屋へ忍び込むようにして入り、抱いて相手を満足させて帰った。
その頃の俺は、とにかく優しく!ソフトに!ゆっくり!ゆっくり!で、それが結構女子高生には好まれた。
夜這いの相手を探すのにも苦労はしなかった。
知り合いの大学生にヴァージンキラーを自負する男が2人いて、その大学生達と話をしていると大学生達がやり捨てした女子高生の情報が得られた。
そして、そんな女子高生に近づいて親しくなると、その子達は、俺が安全な優しい良い男だと知ると既に経験がある為か身体を許してくれた。
俺が信頼されたのは口が固かったからだと思っている。
身体の関係があった娘達の事は絶対に口にしなかったし、道で会っても知らんぷりした。
その代わり布団の中では常に何処かを愛撫し続け相手の性感帯を探っていた。
そんな娘達がいつも5人くらい居て、1人に対し週に1回夜這いしていたので、ほぼ毎日夜這いをしていたようなものだった。
しかしその頃の俺は、彼女達にとってはオナニーの延長でしかなく、彼女達に新しい男が出来ると俺から離れていった。
そんな俺の考えを変えてくれたのがユリカお姉様だった。
ユカリお姉様の命令で何人の娘とエッチしただろう?
お姉様のマンションに居候していた2年間だけでも30人以上の娘を抱いて絶頂に導いたと思う。
ユカリお姉様は、男は優しいだけじゃダメ!haru君と離れたく無い!と言わせるくらい夢中にさせないと…と言った。
そしてユカリお姉様は、俺のオチンチンを手でしごきペロペロしながら、最高級のコレを使わない手は無いわよ!とも言った。
それを言われた時、ユカリお姉様は俺のオチンチンの虜になっていた。
今から思うと、ユカリお姉様は俺のオチンチンを他の娘に使う事で俺にのめり込むのを防ごうとしていたのかも知れない。
ユカリお姉様の命令でエッチした相手は親が地方の名家だったり、資産家の娘さんが多かった。
俺は今でもユカリお姉様はやり方がズルイと思っている。
お姉様は俺にエッチでのアメとムチの使い方を教えてくれた。
アメは俺が以前から使っていた優しいエッチで、大きな快感の後は優しい愛撫で休んで、また大きな快感を!というやり方だった。
一方ムチは、一度絶頂に上り詰めたらとことんイカしまくるやり方で、俺にすれば攻めを緩めないだけだったので簡単だった。
元々俺は、その頃は今以上に体力があり精力旺盛で、2時間続けての腰振りは朝飯前で、放出も一晩に6回でも余裕だった。
なので俺にとってムチが普通で、アメはセーブすれば出来るものだった。
しかし一度俺のアメとムチの味を知ると、ほとんどの子がエッチのおねだりをしてきた。
M気に目覚めた子は俺のムチの方を好んでおねだりしてきた。
その時ほど、お姉様が言っていた、優しいだけじゃダメよ!と意味がよく分かった。
ユカリお姉様はズルイ!と書いたのは、オレが相手した子が俺に頻繁におねだりするようになると、人を使って俺とその子の事をその子の親に密告したからだった。
親が怒鳴り込んで来るのは当然で、相手は一時帰省をささられ、俺とは会えなくなる。
そこでまたお姉様の出番で、その子が俺に会えるように取り計らい、その子に恩を売っていた。
すると何故かその子に良縁が舞い込み、結婚しちゃうケースが結構あった。
後で思うに、俺の福チンの効果はその頃から発揮されていたのかも知れない。
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