- 名前
- mikiko-舞鶴
- 性別
- ♀
- 年齢
- 67歳
- 住所
- 福岡
- 自己紹介
- MにもSにもなれる経験豊富な熟女です。 大人なので少しのことでは怒りません。 仕事は...
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人妻仕置き07(女が書いたSM小説)
2015年07月20日 01:11
「食事後は車で今回のメイン会場の方に移動します。ちょっと窮屈ですが、3,40分のご辛抱を
お願いします。メイン会場では、ゆったりとくつろぎながら、新しい知識や新しい商品の紹介、
活動について、みなさまに発表をして頂き、その後、大野さんへの実習を行います。
たぶん、この時点で夕方ぐらいになりますので、入浴や夕食をしながら夜を徹しての懇親会に
なります。お風呂は広くはありませんが、温泉で露天風呂もあり3,4人は同時に入浴可能と
なっておりますので、楽しみにしてください。明日はまた大野さんへの実習を行い、その後は
車で移動して駅で2時ごろに解散となりますので、よろしくお願いします。
それでは、会長の加納さんから自己紹介をお願いします。」
福澤から指名された会長が自己紹介を始め出し、その後も食事をしながら参加メンバーが福澤から
指名されて自己紹介を行っていった。みんなの挨拶の中で美紀子が実習を引き受けたことへの驚きや
感謝が口にされ、その期待からオフ会の参加を決意したと言われると、美紀子の立場をますます
断れなくしていた。美紀子の番が回って来ると全員の拍手が一際大きくなり、みんなの期待が
ひしひしと伝わってきたのだった。
「大野美紀子、HNは美紀子とそのままです。N生命の活動育成センターでトレーナーの仕事を
しています。先に自己紹介をされた、小関さん、高橋さんとは同じ仲間として仕事をさせて
いただいています。今日は誘われて参加しました。よろしくお願いします。」
「大野さんは、お配りしたメンバーリストでもわかるように、浣腸を受けることを受諾している
女性であり、今回のオフ会の主役になられる方です。」
美紀子の挨拶が終わって、福澤から付け足すように言われてしまった。美紀子としては否定
したかったが、小関や高橋から言われている手前言いだせなかったし、集まっているメンバーの
素性を考えると、妄想の世界で実際には何も起こらないのだろう と、高をくくっていた。
福澤の追加説明が終わると、参加者から盛大な拍手が起こった。しかし、美紀子はまだ余裕を
持ったほほ笑みを浮かべて会釈していた。
昼食会も車を運転する者以外はビールなどアルコールも入り、少しずつ打ち解けた雰囲気になり、
席を移動したりして話が弾んでいた。美紀子の所にも全員が挨拶に来たが、美紀子の勇気を
褒めたたえる男性陣と少しさげすんだ目をする女性陣に分かれていた。
昼食も終わり打ち解けた中で、次の会場に移動することになった。福澤がメンバーの振り分けを行い、
美紀子の車のほかに小関と高橋の車が準備されており、福澤は美紀子の車に他の男性5名と一緒に
乗り込んだのだった。
福澤の指示で向かった建物はホテルからおよそ車で30分程の郊外の山の中にあった。人家がある
集落を少し通り過ぎ、小高くなった場所にあり、周囲を杉林に囲まれた渓流沿いに建てられた
コンクリート造の建物であった。
玄関から入るとすぐに天井が高いリビングになっており、木で作られた柱や梁が異常に大きく、
それに取り外しができるフックがいっぱいつけられていた。リビングの南面は大きく開口が
取ってあり、そこが広縁のサンルームで明るい光がリビングに差し込むようになっていた。
キッチン、ダイニングとトイレ、バスはリビングの西側に配置され、特に風呂はリビングと
平行に南面に面した露天風呂が作られており、リビングからも入浴することができ、リビングと
同じ街の景色や沈む夕日が堪能できるようになっていた。リビングの東側は客室と寝室が4部屋
作られており、最大で14,5人が宿泊できるようになっていた。
別荘に着いた一向は、建物に入り客室を割り当てられ、くつろいだ格好に着替えてリビングに
集まってきた。
リビングの窓際には、3m角程度の高さ30cmほどの台が置かれてステージになっており、黒の
ビニールシートが敷かれていた。それを三方から取り囲むようにテーブルやソファーが配置され、
お酒やつまみの用意が女性たちによって用意された。
「それでは、ただいまから本オフ会を始めさせて頂きます。」
と、言う福澤の言葉からオフ会は始まった。
「みなさまにお配りしたグラスの色でSとMを分けております。
黒のグラスはSの方、赤のグラスはMの方にしております。
それと今日の主役の大野さんには下着姿になっていただきます。」
乾杯しようと赤いグラスを手にしていた美紀子は思わず福澤を見たのだった。
「エッ、・・・そんな・・・聞いてない。」
と、思わず口走った美紀子は隣の小関から
「大野さん、騒いではダメよ。今日のことは家族には秘密でしょう。」
と、ささやかれて、美紀子は口をつぐんでうなだれた。
美紀子は浣腸は実際に実行されることではなく、バーチャルな場での遊びであり、みんなもそのことが
わかっていて、集まって来ているのだと考えていた。しかし、福澤の宣言で美紀子の立場の違いが
はっきりすると、不安から慌てだしたのだった。
福澤はそんな美紀子の動揺を無視するように先を続けていた。
「それでは、みなさんが本日持ち寄って頂いている浣腸を見せて頂き、
それを持って来られた理由を順番に発表してもらいます。
それと、わたしと今日初めて参加した小関さん、高橋さんは共同発表者
と、させていただきます。
また、その実習の被験者の大野さんも関係者扱いにさせて頂きます。
それでは、大野さんの準備が整い次第、1番手は会長の叶さんにお願いします。」
福澤が言い終わると、美紀子の両隣に座っていた、小関と高橋が美紀子を立たせて服を脱がし
始めようとした。
「小関さん、高橋さん、止めてください。
みなさんが服を着てられるのに、
わたしだけ脱ぐなんて恥ずかしいです。お願いです。止めてください。」
「中島さん、今日は覚悟して来たのよね。恥ずかしがるのはわかるけど
あまり手を焼かさないでね。まだまだ、後ろにイベントが控えているんだから・・・」
高橋から言われ、
「恥ずかしがることで、みんなの加虐心を掻き立てるのはいいけど、
あまり騒ぐと、怒るわよ。家族のことを考えておきなさいね。」
と、小関から囁かれると大人しくなるしかなかった。
二人に服を脱がされた美紀子は、あの厭らしい下着だけになっていた。
固唾を飲んで見守っていたメンバーからは、拍手が沸き起こり、美紀子は手で胸や前を隠しながら
座り込んだのだった。
「大野さんの準備ができましたので、会長から始めてください。」
福澤が会長に振ると、会長は立ちあがって美紀子の方を見てから、説明を始めたのだった。
それは古い日本製の簡易浣腸が手に入り、SMクラブのM女性に施したことの報告だった。
使用期限は過ぎていたが、検査すると問題無いことがわかり、使用したのだったが現在の物と
比較すると効き方が激しいとその女性が言ったことを報告しており、その実物がみんなに
回覧されていた。
その後も、会長に続けてメンバーの発表が続いたが、ほとんどの発表は市販の珍しい浣腸を手に
入れての発表か、SMクラブの女性に試した報告であった。中には自分で試した人もいた。
しかし、このサークルのメンバーは、普通に暮らしている日常的な女性に試してみたいと願っていた。
その恥ずかしがる姿に興奮を覚えてしまうと言う加虐的な嗜好をみんなが持っていた。
そのことは美紀子の実習への期待となってある種の熱気をはらんでいたのだった。
男性メンバーは美紀子の羞恥心に思いを馳せて興奮し、女性メンバーは美紀子の屈辱と惨めな姿に
対して優越感を味わっていた。今回参加したメンバーは、それだけ美紀子の実習を楽しみにして
来ており、美紀子にとっては、冗談では済まされない事態になっていた。
「それでは、最後になりましたが、前もってみなさまにはお知らせしていた
緑ガラスの浣腸器の発表をさせて頂きます。
さっきお話したようにこの発表は小関さん、高橋さんとわたしの3人の共同発表とさせていただき、
中島さんには教育受講者ということで参加頂きました。
それでは始めますので、よろしくお願いします。」
福澤は挨拶をすると、この浣腸器を手に入れた経緯を語り始め、小関と高橋はその緑ガラスの浣腸器を
箱から取り出しみんなが見えるように差し出したのだった。
「みなさん、その浣腸器が、今私の手元にある理由をお話します。
それにはここにおられる中島さんが深くかかわっておられます。
まずはその箱をじっくりと見てください。 これが印刷組合から、子供が生まれた家庭への
支給品であることがわかります。大学生だった中島さんが、実家にあった物を小学生のわたしに
くれました。〇〇印刷株式会社は大野さんの実家です。今はお兄さんが社長さんをされています。
もらったわたしはそれを大切に保管し、今日に至るまで持っていました。
中島さんのお母さんは几帳面な方だったようで、箱の中に治療記録なる物も入っていました。
その中には美紀子さんの名前はありませんが、わたしが知っている大野家の方々の名前は
載っており、リストだけでも69回も使用されており、当時は随分と活躍したことがわかります。
リストの最後はお兄さんで、100ccのグリセリン浣腸が施されたことがわかります。
その後は、恥ずかしながら、小学生のわたしが、大野さんにされたのが最後と思われます。
大野さんとは、お兄さんと仕事の打合せをしてるときに再開しました。・・・・」
福澤は浣腸器の由来を述べていた。それは30年前の出来事を彷彿させる内容だった。
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