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- 首から耳にかけて猫みたいにほおずりして気持ちよくしたげる。香港から家出して、大阪に長...
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旅人と詩人
2013年04月29日 14:34
以前、僕と僕の「裏の彼女」がともにはまった文学作品がある。
僕はチェコを代表する作家、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を英語版で読んで痛く気に入っていた。
彼女はその映画版を痛く気に入っていた。芸術的なコだったから、写真家であるヒロインに入れ込んでいた。
1969年の「プラハの春」と呼ばれる、チェコスロバキアの民主改革がソ連軍によって押しつぶされた頃の話。主人公の外科医は反体制のレッテルを貼られ、ガラス拭きの仕事に回されてしまう中、人目を盗んで不倫しまくるという話だった。
そんな作品が大学を出たばっかりくらいの僕を引き付けた理由は、冷戦期の共産圏の「常に誰かに監視されている。自分の思っていることなど、表情に出してもいけない」という窒息しそうな閉塞感だったような気がする。
僕も小中高を「管理教育」でやたらと圧迫的な学校で「危険人物」のレッテル貼られ、つねに監視対象とされてきたので、そんな閉塞感のある小説や映画にはかなり感情投入してしまう。
それにその当時は、アメリカ帰りだってことで職場で危険人物扱いされて、同僚とはまともに話さえもできない状態だったし…
実は、この小説、何度か読んだのだけど、細かい内容はあまり覚えてない。最近、その「ウラのカノジョ」を思い出して、芋づる式にこの小説のことを思い出したのだ。
で、この作品を思い出して、「女たらしの男には詩人タイプと旅人タイプがある」とか書いてあったのが頭に浮かんだ。(あるいはこの作品じゃなくて、クンデラの他の作品かも知れないけど。)
詩人タイプは、常に同じタイプの女性を探すそうだ。そのタイプは母の面影を相手に求めるそうだ。マザコン。
一方で、旅人タイプは、できるだけ多くのタイプを探そうとするそうだ。
僕はその中間かな。固定した好きなタイプが2、3あって、そのタイプに激萌えする。そこんとこ「詩人的」。でも、そのタイプ以外にもやたらと興味があるから「旅人的」でもある。
でも、面白いのは、僕の固定したタイプは「詩人タイプ」的な感じがするのだけど、そのタイプの女性にはまーたく僕のおかんの面影がないこと。むしろ、母とは正反対な人だったりする。
子供の頃、おかんがとにかく怖かった。僕が学校でセンセに「知恵遅れ」「身体障害者」なんてレッテル貼られちゃったので、おかんはどうにかまともにしたかったのだろう。ヒステリックな教育ママだった。
で、計算間違えたり、鉄棒がまともにできないと、よく家の前に立たされたものだ。
そんな時に、下校中の中学生や高校生のセーラー服着たおねーさんたちが僕を慰めてくれたものだった。
それがやたらと嬉しかった。だから、僕の「母」像はひんまがっていて、セーラー服の女子高生になっちゃってるみたい。あ、これで僕の根強いぶるせら趣味が説明できる。変形ぶるせらマザコン。あ゛~あ゛~あ゛~!
それで、何人もの、全く違ったタイプのおねーさんたちから慰めを受けたから、僕の「母像」は分裂しちゃってるのだ。だから、2、3の固定した元型的なタイプができちゃったんだ!
じゃ、「旅人タイプ」の面はどうだろう?
なんだろうねぇ…
道徳的になってない大人が押し付ける道徳から来る、窒息するな閉塞感に対する本能的な反発?
こっちについてはこれまであんまり考えたことがない…
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