- 名前
- ぴーとにゃんこ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 52歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- 首から耳にかけて猫みたいにほおずりして気持ちよくしたげる。香港から家出して、大阪に長...
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月の女神と…
2013年04月14日 23:46
2003年…
http://youtu.be/8271r6BuLAg
(当時の中国語圏で流行っていたフィッシュ・リョンの FLY AWAY)
僕にとってどこまでも甘く、どこまでも辛い1年だった。
もう10年になるんだなぁ。
その始まりは、僕の仕事のエージェントのフィービーが新しいオーダーの電話をしてきた時だった。
彼女はただ単にある契約書の翻訳を依頼してきて、僕にその料金や締め切りについて説明していただけだったが、突然、声の調子がおかしくなってきた。呼吸が荒い。とにかく普通の状態じゃない。怒ってる?僕は何か彼女の機嫌を損ねることをしたのだろうか?あるいは病気?僕は彼女に"「大丈夫?」と話しかけた。
彼女は「分からない」と答えた後、とんでもないことを叫んだ。文字通り叫んだ。”I LOVE YOU!"
僕はあわてて電話を落とした。あわてて電話を拾い、「すみません?何ていったんですか?」と聞いた。
彼女は再び同じことを、まるでがけっぷちで、片思いへの人への思いを伝えるかのように叫んだ。
僕は彼女が自分のタイプど真ん中の梁詠琪(ジジ・リョン)に似た、眼の大きな、短髪、長身の美少女だってことを知ってた。
子持ちの既婚者として、それが地獄の一丁目になるなんてこたぁ、あまり考えないでもすぐに分かる。
せめて、このひとことを叫んだのが、もうひとりのエージェントのアイリスだったらよかったと思った。そうしたら、笑って過ごせたのに。
なのに、超萌えな子がいきなり僕への愛を叫んじゃったのだから、事情は深刻だ。僕はひそかに彼女のこと、好きだったから。
その前、フィービーはそんなとんでもないことを自分のオフィスで叫んじゃったんだ。彼女こそ、大丈夫だろうか、と思った。
ただ、幸か不幸か僕はその当時、重病を患っていて、不倫どころではなかった。中国の政治分析と契約書の翻訳の仕事で手一杯だった。よく敗血症を起こし、高熱を出しては、掛かり付けの医者に抗生物質の注射を打ってもらっていたものだ。会うに会えない。
しかも、その当時の香港は新型肺炎SARS流行下の準戦時のような厳戒態勢。下手に高熱なんて出せば隔離されかねない。
だから、僕と彼女は後で見るのも恥ずかしくなるような濃厚な、それでいて性的なものが一切ないメールを交わしまくった。お互い、性的なものを意図的に抑えていたからこそ、むせ返るような文章になったのかも知れない。中国語はそんな文章には最適な言葉だし。
そうしているうちに、僕の病状は悪化。入院して、手術することに。
そんな厳戒態勢の下の病院は冷たい場所だった。携帯電話以外の電子機器持ち込み禁止。まあ、その当時はWiFiなんてなかったから、ノートPC持ち込んでもメールは使えない。外部とのつながりは、携帯電話だけ。他の患者にも気を使うからSMS(日本の携帯メールみたいなもの)をやり取りしたけど、僕の病状はひどかったので、それにも結構苦労した。
手術はうまくいった。ただ、同じ病気でこれが3度目の手術。再発が怖かった。
退院後の、家での療養の時には、彼女のメールがものすごい慰めになった。多分、これが治癒を早めたとさえ思う。
でも、フィービーが僕とコンタクトしていることがボスにばれた。彼女は会社をクビになった。
それから彼女からのメールも途絶えた。電話しても答えない。
それでも、1週間おきくらいにメールはした。
病気がかなり回復したので、僕は独立を考えて、心理学系のセミナー出席のためにアメリカに飛ぶことにした。僕はそのセミナーを、自分の心の癒しの機会にもしたかった。
フィービーとのコンタクトがなくなって、僕の心にはぽっかり穴が開いてしまった。そのせいで、これまで抑圧されていたものが噴出してしまい、精神状態はかなり悪くなってしまっていた。
でも、そんな状態こそが癒しの機会だと思った。
ニューヨークに飛び、それから鉄道でペンシルベニア州の片田舎に向かった。
フィラデルフィアまでは無機質な大都会。つまらん風景だと思った。
でも、時は晩秋。フィラデルフィアからの支線からは燃えるような紅葉が見えた。美しかった。
長いこと香港に住み、紅葉なんて久しく見ていなかった僕は車窓から感動の声を上げた。懐かしい風景だった。日本で見慣れた紅葉も懐かしければ、久しぶりのアメリカも懐かしかった。
その時ふと、香港の貧しい家庭で育ったフィービーは紅葉なんて見たことないだろうな、と思った。
その時、僕は彼女が僕と一緒にいるような気分になった。
僕は通路側に移り、彼女に窓際の席を譲った。
そして、広東語で「紅葉、きれいだね」などと彼女に語りかけた。周囲にとっては薄気味悪い乗客だっただろう。
ある人が何をしているのか聞いてきたので、僕は「亡くなった祖父が紅葉が好きだったので、彼と一緒に旅行をしている気分でいるんですよ」とうそをついたら、褒められてしまった。
それからというもの、僕は彼女と一緒にいる気分だった。
2週間のアメリカ滞在中には、常に僕は月を意識させられていた。初日には皆既月食があり、毎晩、美しい月が見えた。
そして、香港に帰るという時、JFK空港への道で僕はとてつもなく大きな満月が昇るのを見た。僕は、やたらと明るく元気な黒人ドライバーと賑やかに月を愛でた。
僕はそれが、フィービーの満面の微笑みに感じた。だって、フィービーってギリシャの月の女神なんだもの。
それから、何年か、僕はひそかにフィービーを思い続けた。ほとばしる思いを詩にした。自慰も彼女のイメージでした。色んな店では彼女が好きそうなものを手に取った。彼女が読んでわかってもらうように、苦労しながら中国語で書いた。
辛かったけど、忘れようとは思わなかった。一分一刻、意識のある状態では彼女のことを思い続けた。かかりつけの心理学者にはバカだと言われた。
でも、それは僕に大きな癒しを与えてくれた。フィービーは知らず知らずのうちに僕の中で神格化されていき、彼女への思いは、もっと抽象的なものとなっていった。それはちょっと寂しかった。
でも、僕はそんな中で、自分の内面に秘められていた聖なるものに触れ、癒しは加速していった。
ありがとう、僕の月の女神さま…
このウラログへのコメント
> Sara +゜さん
じゃ、僕はネメシスやメアと遊んで、リトが取られないようにしたげるよ。
ネメシス、結構かあいい。やっぱり猫だからかにゃ?
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