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巨人さんおめでとう
2007年10月03日 07:34
我がタイガース3位決定。
CSで対戦したいですね。
今年もいろいろ有りました。
ニュース
原監督 逆転サヨナラ5年ぶりV奪回
2007年10月3日(水) 7時3分 スポーツニッポン
胴上げされる原監督
【巨人5−4ヤクルト】サヨナラだ!5年ぶりだ!奪回だ!優勝マジック1で迎えた巨人は2日、ヤクルト相手に9回2死満塁から、清水隆行外野手(33)の遊撃内野安打が一塁悪送球を誘う間に劇的なサヨナラ勝ち。原辰徳監督(49)の前回、第1次原政権1年目の02年以来となる5年ぶり31度目のリーグ優勝を果たした。巨人は日本シリーズ切符を懸けて、クライマックスシリーズ第2ステージで中日、阪神の第1ステージ勝者と戦う。
目が潤んでいく。1、2、3回…。屈強なナインの手で原監督が東京ドームの宙を舞った。逆転サヨナラという劇的フィナーレ。お立ち台では感謝の言葉があふれた。
「今年のゲームを象徴するように選手たちは粘り強く戦ってくれた。選手たちは4年ほど悔しい思いをし、私も非常に悔しかった。ファンも悔しかったと思う。その悔しさをぶつけて戦った。最高です」
自ら指揮を執った02年以来5年ぶりのリーグ優勝。日本一に輝きながら翌03年、当時のフロントとの確執で辞任してから1467日。シーズン終盤の史上まれに見る中日と阪神との三つ巴の首位争い。再びセ界の頂点に立った。
昨年2月に他界した恩師・藤田元司元監督(享年74)にささげる“奪回”だった。05年オフ、監督就任要請があった際に藤田氏から「戦力も整っていないし、まだ受けるな。まだ早い」と言われた。それでも低迷を続ける、愛する巨人のため再びユニホームを着ることを決意。藤田氏は渡辺球団会長に「常勝チームをつくるには最低でも3年はかかる。5年以上のスパンで考えないと読売巨人軍は終わる」と直談判。渡辺会長は原監督の長期政権を宣言。藤田氏は最後の力を振り絞って愛弟子のために尽くした。
原監督は、今でもシーズン中に采配に迷ったら恩師が眠る寺を訪れる。思い出す言葉。「ローテーションに困ったら若い投手に暗示をかけろ」。9月上旬に昇格した野間口に「オレが付いているから大丈夫だ」と声を掛けた。チームが苦しんでいた中、この試合も含めて先発、中継ぎで4連勝。藤田野球の継承が実った。
斬新で大胆なチーム改革にも着手した。「上原の抑えとヨシノブの1番。この2つの決断が一番大きかった」。原監督は振り返った。エースと主軸打者の配置転換。「2人ともこれまで積み上げたものがある。納得させることが大事だった」。まずは3月中旬、高橋由に1番不在のチーム事情を伝えた上で「200本安打を打て!」とゲキを飛ばした。チームのアキレス腱、守護神については上原と4月下旬に話し合った。先発復帰を目指していたエースの「短いイニングならいけます」との言葉に「2軍で先発調整させている余裕はない。すぐに1軍に来てくれ」と訴えた。当初は交流戦までの暫定ストッパーだったが6月中旬、あらためて「チームのために最後まで抑えをやってくれ」と口説き落とした。高橋由は先頭打者本塁打でチームに勢いを与え、上原は頼もしい防波堤となった。原監督が思い描いた展開となった。
昨年は開幕ダッシュに成功も故障者が続出。その反省から、対話路線で選手個々の体調に目を配った。自らも95年現役引退時と変わらぬ体重をキープ。若大将らしく「選手の手助けをしたい」と親身になって接した。
まだ終わりではない。クライマックスシリーズ。中日か阪神か。再び激闘が始まる。「まだ先ですね。あしたになってから考えます」。原監督はそう言って笑った。「奪回」の余韻にもう少し浸りたい。5年ぶりの日本一に向かう前に。
[10月3日 7時3分 更新 ]
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