- 名前
- ユリ
- 性別
- ♀
- 年齢
- 42歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 見た目細身の天然ってよくいわれます。でもけっこうしっかりしてます。自分的に。映画と読...
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「月」レビュー☆
2024年10月09日 01:25
宮沢りえ主演他。深い森の億にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は、“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。施設職員の同僚には作家を目指す陽子(二階堂ふみ)や、絵の好きな青年さとくん(磯村勇斗)らがいた。そしてもうひとつの出会い―洋子と生年月日が一緒の入居者、“きーちゃん”。光の届かない部屋で、ベッドに横たわったまま動かない“きーちゃん”のことを、洋子はどこか他人に思えず親身になっていく。しかしこの職場は決して楽園ではない。洋子は他の職員による入居者への心ない扱いや暴力を目の当たりにする。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだ。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく―。そして、その日はやってくる。実際の障害者殺傷事件を題材に、2017年に発表された辺見庸の小説「月」を実写化。2023年、世に問う大問題作が放たれる。
10/10点!!原作未読です。メガホンを取ったのは「舟を編む」の石井裕也監督。いやー描き切りましたね。グサリと刺さりました。というか鬱三部作(「ミッシング」「あんのこと」と本作)ぶっ続けで観ちゃいました(;_;)予想はしていたけど、これが最後にして一番キツかったです。実力派俳優陣が揃う中、磯村くんの目が最初から凄い(怖)何故こんなにもホラーテイストに作ったのか?と感じるほどダークファンタジーと現実の隙間に堕ちてしまったかのように施設の有様が描かれています。オダギリジョーや二階堂ふみなど現実感のない俳優を配置しているのは意図的なのだろう(石井監督の好みでもあるが)。確かに、この施設で働きながら正気を保つのは難易度が高い。ただ、どんな仕事でも感情のスイッチをオフしなきゃならない場面はある。とても自分だけでは抱えきれないから見ないようにしていることもある。見ないようにされていると感じることもある。この世界はそれだけおかしくて不条理で溢れているから。“生きる意味”については、そんなの本人以外がいくら考えたところで答えなんて出ないから考えても仕方ない。ただ、洋子やきーちゃんの親子のの関係のように、誰かにとって誰かは失い難い家族だというのは確かだ。人間かどうかなんて愚問で、だってペットだって人間じゃないけど、失い難い、かけがえのない家族でしょと思った。大切な存在なのだ。ただ、現実問題として、このような施設では社会的弱者が弱者を介護するという勤務体系が取られがちで、その状態ではケアする側の心が病み、このような事態を招くことがあると思う。内部の人間が閉鎖的空間を作り出せてしまうのも問題だ。私自身、家族が施設にいて、施設のずさんさに唖然としたことはあり、とても信頼して家族を預けられる状態ではない(しかし、これについては私に決定権がない)。ちょうど今日、テレビで不正の温床で死者も出ている施設の改善策のひとつとして「一般の人の目を入れる」というのがあった。でも一年に一回だった。まじで意味がない。それに陽子(二階堂ふみ)が「誰も見たくないから隠されている」と言ったように、施設寄りではない(ボランティア好きとかは施設寄りだと思っている)、忖度の関係者でもない一般の人の誰が来たがる?「(自分の貴重な時間を使ってまでは)見たくない」。これが残酷だけど、世の大勢が感じている事実だと思う(もちろん、そうでない人もいる)。この劇中で洋子と陽子だけは希望に手を伸ばそうとしている。でも、それは諦めが悪く、意志の強い人間でないと出来ない所業だ。この社会的負のループを改善する方法はわからないが、ケアが必要な人(障害者だけではなく広く一般的に)と接する時、その人の人生に寄り添い、家族だったら、その人本人だったらという目線で接することをこれからもしていきたいと思う。2023年公開。
このデジログへのコメント
ユリさん、10点付け、見ねば・・ですね。
あんのこと、、、ミッシング、、、観たので
観たいです(* ´ ▽ ` *)ノ
> はらぺこさん
おー下り坂な見方同じですね人の暗部に惹かれてしまうのは何故なのでしょうね。
> ザンキンドーナツさん
重たいので心に余裕がある時、あと怖いので一人で観ない方が良いかもです。まんまと寝れなくなりました
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