- 名前
- ウルトラ7
- 性別
- ♂
- 年齢
- 63歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- ガツガツして欲しい貴女、他の方をお訪ねください。 まったり、ねっとりの専門店です。但...
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“普通”を捨てる勇気はあるのか
2017年12月11日 04:39
おはよう \(^O^)/
←『WALKING DEAD』
救世主を名乗る輩の
圧倒的な暴力による
徹底した弾圧を描く
season7をDVDで観る
Walking Dead
《歩く死体》…ゾンビが“普通”に暮らしていた人を襲い、襲われた“普通”の人が今度は自分がゾンビになり、他の“普通”の人を襲い、鼠算式に増えてゆくゾンビの群れ。
僅かに生き残った人たちの中で、覇権争いは今までもあった。だが、今度の“救世主”を名乗るニーガンの存在感は別格!
タメラ
躊躇い迷いが一切ない暴力―――それはあまりにもシンプルなだけに、最も強く、そして恐い。
絶対的服従しか許されない恐怖の支配に、人はそれを受け入れれば楽にはなる。
友と語らい、愛する家族と朝食を共にする平穏は2度とは来ないが、ニーガンの云うことさえ聞けば済む。
額に汗して必死になって働いて、稼ぎの大部分を渡しさえすれば、殺さないでいてくれる。
それまでの“普通”を捨て去って、服従することを“普通”にすれば、誰も死なずに済むからだ。
だが、それを生きていると、果して本当に云えるのだろうか?
いやいや、待てよ。
額に汗して必死になって働いて、高い税金を払っている今と、一体何が違うんだろう。
勿論、今の日本で政府に逆らって、その場で撲殺されることなんて、北朝鮮じゃあるまいし、今はない。
が、自民の憲法改正案では、国民の健康な暮らしこそ保証されるが、人権の条文は削除される。
日本の未来像、一体何が違うんだ。
“普通”はイヤか、なりたいかって、“普通”が「大多数と同じ」って意味?
なら、「イヤ」だな。
大多数が必ずしも正しい正義とは限らないし、思わない。
間違っていると思ったなら、例え自分独りででも反旗を翻す自分でありたい。
勿論、天涯孤独でフリーランスだからの意見だ。
“しがらみ”という荷物が重くて、愛する者が側にいる時、その手を振り切るだけの勇気があるのか。
それは、常に自分に問いたい。
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