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書籍:外国人がみた日本史
2015年04月06日 23:50
今日の書籍紹介は、河合敦氏の著書です。
■外国人がみた日本史
■河合敦(著)
外国人は日本のどの部分を素晴らしいと思ったか、また思わなかったかを記録から検証した本です。
日本の素晴らしい部分を再認識するきっかけにもなるのではないでしょうか。
それでは特に参考になった話を紹介していきます。
●15世紀半ば、オスマン帝国が地中海を制圧して、ヨーロッパ人の東西交易に高い関税を課すようになると、ヨーロッパの国々は、新たな交易ルートの開発の必要に迫られた。
その結果、ヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マゼランなどの冒険家たちが海路を開拓し、新天地を発見、香辛料や新たな領土を求めて、ヨーロッパ人がアジアにやってくるようになったのだ。
なお、大航海時代より前の鎌倉時代後期、言をおと擦れたベネチアのマルコ・ポーロが書いたとされる『東方見聞録』は、日本を中国の東に位置する黄金であふれる国と介した。
この黄金の国ジパングは、やがてヨーロッパ人の間で伝説となり、のちにそれが大航海時代を招く1つの遠因となったともいわれている。
いずれによ、大航海時代が始まると、1543年に日本にもヨーロッパ人が来航する。
彼らの目的は、交易と植民地の獲得と、キリスト教の布教であった。
なおヨーロッパ人が我が国にもたらした鉄砲は、戦国時代の収拾に大きな役割を果たした。
とくに織田信長は大量に鉄砲を所持し、その威力を存分に活用して天下平定を進めていった。
同時に、仏教勢力に対抗するため、キリスト教の不況を積極的に認めたのである。
キリスト教が社会福祉事業を大々的に展開したこともあり、国内で急激に信者を増やしていったのである。
(P48~49引用)
キリスト教を追放しようとしたのが豊臣秀吉であったのは有名だが、逆にキリスト教信者が増えるきっかけをつくっていたのが織田信長であったというのは意外である。
●秀吉は、容貌は猿のようであり、元来貧賤で、周囲からバカにされていた。
しかし、織田信長は大名まで成り上がらせた。
「仕事ができるか、できないか」それが、信長の部下を評価する判断基準のすべてであった。
佐久間信盛や林秀貞のように、数十年間織田家に仕えた宿老であっても、「こいつはもう使えないな」とみれば、容赦なく織田家から追放している。
情も涙もない、究極の合理的人事だといえた。
時は、泰平の時代ではない。
弱肉強食の戦国時代。
これまでの家には崩れ去り、うかうかしていればすぐに誰かに食い殺されてしまう。
「こんな時代に、門閥も年功も糞もない。勝つためには慣習にとらわれることなく、有能な人材を集めることだ」
そう信じ切ったところに、信長の凄みがあったといえる。
現在、企業の終身雇用制度や年功序列賃金制度が崩壊しつつある。
これを、日本企業の良き慣行が焼失したと嘆く向きがある。
だが、戦国時代の織田家に限ってみれば、能力型賃金制度が導入され、無能と判断されたら、ただちにリストラされてしまったのである。
戦国時代のような激しい時代では、能力に応じた登用をする方が、組織としては強くなっていきますね。
●江戸時代の一時期、オランダはナポレオンに占領され消滅してしまう。
すると、フランスと敵対するイギリスがオランダから制海権を奪い、アジアでの商活動が困難になる。
それは10数年間に及んだが、その間、バタビアの東インド会社は中国船やアメリカ船を雇って細々と日本の交易を続け、オランダという国家が存続しているように見せかけた。
(P83引用)
鎖国時代、日本の貿易相手国はオランダと清であった。
実はオランダが存続していなかったというのはびっくりであるが、そこまでしても日本は交易したい国だったということからは、当時のすばらしさが窺えますね。
●幕末に来日したイギリス公使・オールコックは「日本では、教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくゆきわたっている」との感想を書き記している。
18世紀の広範囲なると、日本では「教育爆発」と学者たちが呼ぶ現象が起こる。
人々の教育熱が高まり、多くが率先して寺子屋という初等教育機関に学び、読み書きができるようになっていくのだ。
推測であるが、江戸時代における日本人の識字率は30%を超えていたともいわれる。
これは、世界的にも類を見ない。
このデジログへのコメント
江戸時代庶民も意外と読み書き出来てたってのは
なにかで聞いたことあります
(  ̄▽ ̄)
SYUZO-さん:今の子の方が意外にできないのかな?
会津藩の識字率は、70%以上で、藩祖、保科正之は、世界初の年金制度を取り入れました。
キリスト教対策としてつくられた檀家制度は今も残っています。日本人の頭の中は未だに封建時代の名残が・・
いいとこはたくさんある。
日本人は使い方、伝え方をしらないだけ(;つД`)。
morioさん:伝えるってほんと難しいですよね
koujiさん:変わったところまだ変わらないところとありますよね
管理貞操帯さん:すごい人ですよね
会津藩を通る旅人が、病気や怪我で困っていて、お金もない人には、出世払いで治療していました。
管理貞操帯さん:善人の集まりだったんですね(*^^*)
保科正之が着任した時は、前城主の圧政で、大変だったのですよ。
管理貞操帯さん:そうだったんですねそこから改善させていくのは大変だったんだろうな
信州の高遠藩から、転藩した時、余りにも酷いので、検地をやり直し、農民の年貢を正常にしたから改革が
管理貞操帯さん:そうなんですね歴史にも詳しいんですね
検地をやり直したら、余分な税を取り立てていたのが分かり、正常に戻し、農民の信頼を得ました。
管理貞操帯さん:公平さ、誠実さ大事ですね(*^^*)
正しく評価された農民は、山間部に隠していた田畑を正直に申告
正之公は、一切処罰をせず誉めました。
管理貞操帯さん:正直者こそこういう評価必要ですよね
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