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旅ログ part-029 (沖縄編-02)
2012年04月11日 00:14
沖縄編の2回目です。
僕が初めて沖縄を訪れたのは、当時在籍していたF1専門誌の取材で、でした。
1994年12月のことです。
何故、F1雑誌が沖縄取材? と思われるF1マニアの方々もいることでしょう。
沖縄をF1マシンが走ったワケではありません。
沖縄にはカートコースはありますが、本格的なサーキットはありませんし、ね。
(個人的には那覇の泊港あたりをピットエリアにして市街地レースをやれば面白いし、沖縄の観光の目玉になるんじゃないかって、ず~っと思っているんですけどね。コースレイアウトも面白いコースになるし、アップダウンもそこそこ付けられて、、、、あ、話が逸れました)
沖縄のどこで何を取材したかと言うと、沖縄国際大学の体育館で行われた琉球空手の大会。
実際のところ、F1とは何の関係もないイベントです。
ですが、この日は東京から僕が在籍していた編集部と東京中日スポーツだけが取材に行きました。スクープ撮りですね。(他媒体はフジTVでさえ来ていなかったと思います)
何故、沖縄取材だったかというと、その空手大会に92年のF1チャンピオン、ナイジェル・マンセルが特別招待を受け、名誉段を受章しに来るという情報をつかんだから、なんです。
シーズン・オフの恰好のネタでしたし、空手着姿のマンセルを次号の表紙にしようと即決し、すぐさまカメラマンの手配をしました。
しかし、その日はホンダF1チームの中村良夫監督の葬儀当日。
生前、最期までグランプリの現場に足を運んでいた中村さんの葬儀当日に沖縄取材に同行してくれる契約カメラマンは手配出来ず、編集長が出した結論が「お前が行け」。
なぜならば、表紙写真レベルの撮影が出来るのは、ウチの編集部じゃ俺とお前しかいない。
でも、俺が中村さんの葬儀を欠席するワケにはいかない。
だからお前が行ってマンセルの空手着姿を撮って来い。
という編集長からの業務命令。
実は僕自身も喪服を用意し、数時間後の葬儀に参列させていただく予定でした。
(中村さんは当時の編集部の相談役・顧問でしたので、僕も大変にお世話になった方でした)
そんなハプニングがキッカケで、初めての沖縄訪問となった次第です。
初めての沖縄で、取材にお伺いした沖縄国際大学は、あの普天間基地のスグ南隣り。
キャンパス内に基地のヘリが墜落したことがある、という大学でした。
実際、航空機やヘリコプターの爆音が物凄いキャンパスにビックリしました。
中村さんの葬儀を泣く泣く欠席し、機上から手を合わせ、慌ただしい取材スケジュールをこなして表紙写真の差し替え入稿時間にギリギリ間に合わせ、バッチリと空手着姿のマンセルの写真を表紙に掲載することが出来、何とか役目を果たしました。
今だったら、インターネットとデジタル写真、携帯電話を駆使すれば難なく出来てしまう事かと思います。けれど、そんな技術は全くない18年前の話、ですね。
写真は、右の岬が辺野古です。
普天間基地の移転先として候補にされているエリア。
移転前の風景を自分の眼(まなこ)に焼き付けたいと思って2004年以降、何度か訪れました。
もちろん、僕は移転に反対です。
このデジログへのコメント
由奈san、こんばんは。
国外移転か国内で分散移転がベターだと思うんですよね。
少なくとも沖縄県外に移転。
ということで、みんなが前回の総選挙で投票したんじゃないかと。
そう思うんですけどね、僕は。
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