- 名前
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- 長年、都内で出版の仕事に従事して参りましたが、80歳を過ぎた母親との同居を決め201...
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旅ログ part-028 (沖縄編-01)
2012年04月09日 23:05
京都編を一旦休止して、次に何処の話を書こうかと思い巡らした結果、今日から何回か沖縄のことを書こうと思います。
ただし、これから記す日記は旅日記というよりも、僕の沖縄に対する想いというニュアンスが強くなるかなと思います。
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僕が「沖縄」という言葉を初めて聞いたのは小学校の3年生の時でした。
その時同時に「琉球」という言葉も初めて知りました。
当時、父親の仕事の関係で返還前の沖縄から若手の研修生が父の職場に研修に来ていました。
父親は夜な夜な彼ら研修生を連れて飲み歩き、飲み屋が閉店した後、自宅に彼らを招いて、連日深夜まで「沖縄」か、「琉球」か、という話を延々と続けていました。
おぼろげな記憶です。
その、夜中遅くに始まる酔っ払いの議論と琉球民謡の合唱が、半年近く続いたかと思います。
当時の僕には何のことか解かっていませんでしたが、その後、自分自身が成長するにつれてあの時の話が「沖縄返還」を望むのか、「琉球独立」を望むのか、という議論だったんだなぁと理解することとなりました。
このことで、生前の父親に尋ねた事は一度もありません。聞いたとしても政治的な話は一切しなかった父でしたし、応える訳もないと思っていたので。
ただ、一度だけ父親から「琉球で生活した日々」の話を聞いたことがあります。
東京新宿生まれの父親でしたが、戦前、小学校6年生の頃に一年ちょっとだけ那覇で生活していたことがあると聞きました。
「琉球は宝モノのような島なんだ」と。
「お父さんは琉球が大好きなんだ」と。
当時、世間では学生運動が連日ニュースとなり、安保闘争とか全共闘といった言葉が新聞やニュース番組で飛び交っていました。
そして1972年5月15日、僕が13歳の春に「琉球」が無くなり「沖縄県」が誕生しました。
沖縄本土復帰と言われた日です。
僕の沖縄に対する想いは、小学生の頃に社会の仕組みなど解かっていなかった当時からイロイロ思い巡らした気持ちがベースにあります。
そんな僕が初めて沖縄を訪れたのは、22年後の1994年の事となります。
本日は、ここまで。
写真は那覇の国際通りで行われたエイサーの模様です。
このデジログへのコメント
由奈san、こんばんは。
沖縄、是非ぜひ訪問して下さい。
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