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- 人生は元々「機会不均等」なものです。その中で如何に自分自身ベストを尽くすかを昔から求...
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2008年03月11日 00:26
まずは
<(途中から)「心配かけてごめん、お母さん」。その電話が、麻酔科勤務の女性研修医と母(63)の最後の会話になった。
04年の正月明け、十全総合病院(愛媛県新居浜市)の外来病棟で倒れているのが発見された。自分で静脈に麻酔薬を注射し、28歳の命を絶った。
麻酔医は緊急手術が不可欠な救急医療の要だが、病院にはたった2人。1時間以内で駆けつけられるよう求められ、近くの温泉に母と出かけた時も昼夜を問わず携帯電話が鳴った。
03年2月、急に手足に力が入らなくなる「ギラン・バレー症候群」になった。3月末まで自宅療養するはずが、病院から「忙しいので戻ってほしい」。5月、帯状疱疹(ほうしん)を発症。勤務先に8日入院したが、病室から毎日、医療現場に向かった。
両親は病院を提訴。大阪地裁は昨年5月、過労と自殺との因果関係を認め、病院側に約7700万円の賠償を命じたが、大阪高裁で係争が続く。
「娘は医師不足の犠牲者」。父(64)は、そう信じて疑わない。>
全体は:http://www.asahi.com/kansai/news/kyuukyuu/OSK200802120037.html
→『チーム・バチスタの栄光』にも描かれていて、その「扱われ方の軽さ」、仕事の難しさとその見返りの低さ、等時折その勤務実態について問題が指摘される「麻酔医」。
最近救急医療問題で特に医療従事者が不足しているという問題が盛んに喧伝されています。その前に看護師不足の問題が言われていて、そちらは外国(フィリピン)から資格者を受け入れる方向といわれるものの、例えばフィリピンでは同じ英語圏ということで元々アメリカ・ヨーロッパへの志向が高く、日本で従事する際のハードルが高い(特に言語)ことから難しさがある、医療者に関しては最近よく話題になる「訴訟リスク」問題や「研修医制度問題」など、こちらは基本的に国内で何とかしないといけないだけに余計に難しい。
ここから話は変わります。
昨日(3月10日)見ていたワイドショーで、ベトナム難民が日本にいるお兄さんを頼って来日、必死に勉強する中で、来日前の香港でお世話になったイギリス人ドクターの「凛々しさ」に自信の将来像を見定め、某大病院の小児科副部長になられている方の紹介がされていました。この方にしてみれば、ベトナム難民を生み出すような当時の故国の世上事情、生きるか死ぬかの経験をされた方にとり、来日時中学2年相当で日本語を全く使った事のなかった方が、医師免許を日本で(特例なしで)取られ、医療人で活躍されているとの姿。
個人が生まれ育つ環境の中、自身で身を以って経験をした範囲、していない範囲、それらと個人が元来もっている遺伝的な形質、相俟っての個人性、加えて「個人性」とその先の目標をどう指向するかによりバイアスがかかる「将来への希望・願望・目標」をどう設定し、どこまで求め、どこを「納得値」とするか。純粋であると妥協できなくなるし、さりとて「思い」そのものがないとどこにも自分を向かわせる、きっかけすらない。
その前日、脳死に立ち会う救急医を取り上げていた「報道特集」を最初から最後まで見ていました。救急医は人を救うのが本来の職務。しかし他方で「瀕死」に近い患者を扱う可能性が高い現場であることもまた紛れもない事実。「救う」方向を当人、はたまた「待っておられる」方々に振り向けるのか?ドクター、及び周囲のスタッフが究極の難しいお立場にいらっしゃることを改めて実感させていただきました。では何故そういう「難しい」お仕事を続けることが出来るのか?
仕事と人の生きがい、その人らしさ、を最近意識的に考えている中、この二例は非常に参考になりました。まだまだ考え中ではあります。
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