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『死刑』を読んで
2008年03月03日 21:00
2008
朝日出版社
森達也
「人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。」
著者がオウム関係者を取材し映画を製作する中で、彼らの中で「死刑囚」が多かったことをきっかけの一つとして、「死刑」という制度自体の抱える矛盾・疑問点を実際に死刑に関わる人々(死刑囚・被害者遺族・法曹関係者・刑務官など)を実際に著者が取材し、まとめた作品。
ご承知の方も多いと思うが、いわゆる先進国の中で死刑制度を存置している国はアメリカの一部州と日本だけである。また全世界で死刑を存置している国は64カ国、アジア・アラブ・アフリカの発展途上国が多い。他方、特に欧米諸国などでは凶悪犯と警察が対戦する場合、犯人を「射殺」する場合が多く、これを実質的な「刑」と言い得ることも可能かと思われる(と著者は言う)。
日本で死刑という制度(国家による国民を殺人する行為)について議論が深まらない理由の一つとして、どの様に刑が執行されるのか、また死刑判決が確定した時点から死刑囚と外部との交流を極端に制限されることなどによる「死刑そのものの見えにくさ」が挙げられると著者は言う。私自身は死刑台の写真やその様子を見聞きしたことがあるのと、冤罪事件の記録に触れた事がある経緯から、人が人を裁くことに絶対的な正義はないとの公理により、対象者の存在を滅する「死刑」という刑罰には反対の立場である。ただ実際に「被害者」に立たされるとどうなのか?それはなんとも言い得ない。
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