- 名前
- タオ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 67歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- もう歳も歳なので、枯れ専の自覚があるとか、ログを読んでみて感性が合いそうだなと思った...
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繋がり
2015年01月01日 12:16
かなり前にブログで書いたことを再録します。考え方は変わっていません。ちょっと説教臭いですが。
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セックスについて書くことにします。
この分野は広大で(笑)、いろいろ話すことはあるかと思いますが、今回は一つに絞ります。
若い年齢差ある女性と付き合った時のことです。その女性がある時、これまでの男性体験からでしょうが、「身体の相性も大事だと思う」と語ったことがあります。私とはどうも「合わない(不満)」と感じていたから出た言葉かも知れませんが(笑)、あれこれ考えることがありました。
たしかにこころと身体は相対的に別のものですし、セックスということになると身体と身体の重なりであり、身体が全面に出てるように見えます。
けれども私の経験ではこころと身体を切り離すのは難しい。こころが繋がっていない場合は、いくら身体の相性がいいと感じられていても長続きしないと思います。つまりは、こころが満たされていないと身体も本当のところは満たされないのではないかと思うのです。
そう考えると、上にあげた女性は、もしかしたら本当に男性を愛したことがなかったのかも知れません。愛を体験していたら、身体の相性のことはたぶん言葉に上ってこないような気がします。もちろんセックスは大事であることに違いはありません。しかし、こころが繋がっていれば(つまりそこに愛があれば)、身体の関係は福次的に見えるはずなのです。
言い換えれば、満たされている二人にとって、セックスは愛情を確かめるためのものであり、それだけが独立しているものではないということだと思います。
「身体が忘れられない」というフレーズがあります。男も女も一時的にはあると思いますが、これは「こころはもう繋がっていないけれどセックスを忘れがたい」ということなわけで、身体だけの関係の空しさを表現しているものでしょう。
ついでに思い出しましたが、やはり昔付き合った年下女性が元カレのことについて「一晩に◎回もした」と話したことがあります。元カレと私を比較し、元カレとはそれだけ深く愛しあっていたことを言いたかったのかも知れません。当時彼女は、まだ私との付き合いに完全にコミットしていない段階でしたから、そうできない言い訳だったんだろうと思います。しかし、セックスの回数で愛情の深さをはかろうとするのは愚かなことであり、彼女は愛についてほんとのところは分かっていなかったのでしょう。
セックスがあるからといってそこに愛があるとは限りません。たぶん愛はセックスを基底に置きながらも、パートナーとの生活でいろいろな障害を乗り越えながら学び取っていくものではないかと思います。
ふとこんなタイトルの歌があったのを思い出しました。
“You don’t knowwhatlove is.”
このウラログへのコメント
> 白玉子さん
うーん、愛と情は70%くらいは重なってるのかも。愛は独占欲、情はズルズルのところが、はみ出たところで、両方マイナスだから、70%くらいで満足せよ、ということかな w
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