- 名前
- タオ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 67歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- もう歳も歳なので、枯れ専の自覚があるとか、ログを読んでみて感性が合いそうだなと思った...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
「語りにくいこと」の補足
2015年01月09日 00:19
先日ポストした「語りにくいこと」の補足です。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
「語りにくいこと」では、男の視点からセックスでの心理の動きを書いたわけですが、そこではセックスそのものを即物的にとらえています。つまり相手の女性の人格は考慮していません。しかし、実際は、ヴァギナをもった女性アンドロイドとセックスすることはありえないので(巷にはダッチワイフは存在していますし、将来は作られるかも知れませんが..笑)、女性の人格抜きにセックスはありえません。
じゃ、そもそも男がどうしてセックスを即物的にとらえられるのか、というか、それはありえるのかという話になります。たぶんこれは男性が女性とのセックスを買う風俗はなぜ存在するのかということとも関係する話になります。
結論を先に言えば、セックスは即物的な側面と人格の触れ合いという側面の二重性を持っていると思うのです。
即物的な側面とは、端的に遺伝子のコントロールを背景にしたものです。恋愛をどう理想化していても、男女が最後には自然にセックスにいたり、互いの性器を結合させる行為に収束していくことを誰も否定できません。遺伝子を個体を超えて残していくことが遺伝子のミッションで、私たちがそれに抗らうことは不可能です。
男女とも、その遺伝子にとって誰の遺伝子を取り込むかは、サバイバルできそうな能力の判断で決まるそうですが、サバイバルできそうという判断にはたぶん人格は入っていないのです。つまり、もっともサバイバルできそうな相手であれば、「誰でもいい」わけです。
じゃ、サバイバルできそうとの判断は何によるのか、また男と女でどう違うのか、その判断は無意識に行われるかどうかなどはやっかいな問題ですが、今は横に置いておいて、ここでのポイントは即物的な側面は遺伝子によって私たちの内部にビルトインされ、性的欲望を生み出すものだということです。
人格の触れ合いの側面とは、私たちが持つ恋愛感情です。ふつうは、お互いに恋愛感情が生まれ、付き合い(お互いを知り)、セックスするというプロセスになるので、客観的に見れば恋愛はセックスへのトリガーということになります。その限りで、お互いを好きになる恋愛も、遺伝子があらかじめ組み込んである装置(デバイス)ではないかと考えるのが妥当かなと思います。
先に、「セックスは即物的な側面と人格の触れ合いの二重性を持っている」と書きましたが、そうなると二重性ではなく、どちらも遺伝子が仕掛けたものになってしまいますね w
では、なぜ「人格の触れ合い」という要素を取り上げたのか? それは、たとえ恋愛が遺伝子の装置であるとしても、男女とも内面では、「この人は自分にとって必要で、大事な人だ」という思い込み(相手の人格的な評価)の裏付けがなければなかなかセックスまで進めないからです。そして、この「思い込み」は男女とも不確定で、不安定なもので、遺伝子が操作できない領域です。人間の自由意志が関わるところと言ってもいいかも知れません。
最初は、相思相愛だと思っていても途中からそうではないと思うようになり恋愛感情がなくなってしまうこともあったり、一時期は恋愛関係になっていても、どこかで破綻してしまうこともよくあります。ということは、遺伝子は、セックスのトリガーである恋愛までは人を動かすことはできるけれど、それがセックスを媒介にお互いに子育てしていくという恒常的な関係まで導けるかどうかはコントロールできないということです。
とここまで書いてきて、どうも少しズレていると気づきました。問題はほんらい、「セックスの身体性とこころの関係」ではなかったかと。つまり、即物的な側面とは身体性ということであり、人格的触れ合いとはこころの問題であり、この両者がどう結びついているかを議論したかったはずでした。
じゃ、セックスの身体性とこころの関係をどう考えたらいいのか。
セックスがこの二つの側面を持つこと(というか人間は本来この二つの側面でセックスを体験する)は明らかで、「即物的な側面」と言っていたのは身体性のことでした。
ですが、二つの側面、身体とこころは分ちがたく融合しているので、切り離すのは難しいわけです。とはいえ、風俗にみられるように、無理にこころにフタをして、身体だけでセックスをすることも不可能ではないということでした。
でもこれは誰しも経験することですが、風俗に限らず、男女ともこころを閉ざしたセックス(たとえば、本当に好きではないけれど、いきがかりでそうなってしまった場合など)には空しさがつきまといます。男女とも物理的な刺激で身体は性的に反応してしまうものですが、そこに充実感はありません。
確かにセックスは身体ぬきにありえません。もっと言えば、恋愛はセックスぬきにありえない。その意味で、遺伝子を残すという遺伝子の戦略からすれば「はじめに身体ありき」ということになるでしょう。最初から、最後まで身体は残ります。しかし、人は、この身体性をこころでとらえ返さざるをえないことも確かなのです。こころが納得しなければ(つまり相手の人格に触れ、それを信頼することができなければ)、セックスは部分的な満足で終わってしまい、ほんとうの満足感を得ることはできないのです。
なんだか結論は、平凡なものになってしまいました。異論があれば聞かせてください。
このウラログへのコメント
「思い込み」って相手の「理想化」だから、危険なことは確か。でも、恋愛にはなくてはならないので厄介ですね。醒めた自分をどこかでキープする必要があるかもです
信頼してるから委ねて体を開いてみたいと思うのだけど
セックスしちゃうと途端に落ち着いてメールもLINEもそれまでと違ってくる。その温度差が男女差なのかな
女性はセックスしてからの方が連絡多く取りたがる
> 柚餅子さん
男女の温度差、たしかにそうですね。男の場合は、最初のハードルである、はじめてのセックスを越えれば、あとはゆるく、なだらかな関係でいいと思うものではないでしょうか。
なるほど
そういうものなのですね。
もっと沢山話したい女性とは
温度差あるけど普通なんですね~(*ˊ˘ˋ*)
コメントを書く