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今何処(いずこ)-AB編-3/3C

2007年11月25日 16:50

前回別れる時、今度は私から電話すると言い彼女の電話番号を控えておいた。
会社の電話は発信はそのまま"0"ダイアルで出来るが、着信は全て受け付けのオペレーター経由になっていて、しかも彼女の声はオペレーターにも解ってしまっているから、彼女から時々私宛に掛かってくるのは心配があった。

普段は大体夕方の6時頃までは会社に居るが、それ以降はメーカーからの接待日本人スタッフ間での夕食やマージャン香港に来る日本人のアテンド等等、結構帰宅は遅い日が殆どだった。

だから彼女に会いたい気持ちは強かったが、数週間に一度ぐらいで会っていた。

そして会う度に彼女との接し方がエスカレートしていった。
無論会うのは何時も前回のバーだったが、唇を重ねながら手は彼女の胸をセーターの上から弄り、その次は薗セーターの裾から手を這わせ、柔らかな乳房を直に揉んだりもするようになっていた。
そのバーにもすっかり慣れて、全く周囲の事など気にらなくなっていた。
でも流石にそこではそれまでが限界で、それ以上は無理だがもう既に私は彼女の全てを欲したし、彼女も十分受け入れてくれると確信していた。

直ぐにその先の段階に進まなかったのは、私にその知恵がなかったからで、
その様なケースはラブホテルとしか頭に浮かばなかった。
しかし日本ですらその様なホテルに入るのに躊躇する私が香港彼女を連れて入る度胸はなかった。
後で思えばそのままそのホテルを使えば良かったのにと後悔した。

私は彼女を手放したくない。当時4歳と6歳の子供が居たが、
出来る事なら家内と別れても彼女と一緒になりたいとさえ思いつめていた。

その頃家内香港での生活環境の不満から多少ノイローゼになっていて、私と相対すると殆どそのことに関しての苦情だったし、私と口論になったりもしていた。

ある日曜日、家内要請で子供二人を連れ出し外に出た。
何をするか少し考えたが会社の近くの映画館で子供向けが上映されていたのを思い出し、バスに乗り少し手前で下車し、両手で二人の子供と手を繋ぎ歩き始めた。

子供の歩調で歩いてたから大した距離は歩いていないが、10分程した所の歩道に鉄製のベンチがあったので二人を座らせた。

子供二人と私とで出掛けたのは初めてで、二人と普通のおしゃべりをしていたが、話が途切れた時、何時も頭にあった彼女の事を話し始めてしまった。

「これからもしパパママが別れて別々になったら二人は如何する」・・・
ママと一緒に居る。それともパパと新しいままと一緒になる」・・・

私の言っている意味が解らないのだろう。
二人はキョトンとして私を見つめていた。

その二人の子供のキョトンとしたあどけない目を見て”はっ”とした。

”何と俺は馬鹿なんだろう。こんな可愛い自分の子供の将来も 考えず、分別も付かない子供に何て言う事を話しているんだ ろう”

でも子供達が意味も解らずに居た事が救われた。

もし多少でも意味を解したら後々子供の心の何処かに生涯として残っただろうし、そんな言葉を発した自分は後悔を一生背負った事になってたろうと、今思い出しても”ぞぅっ”とする。

そしてその時私はずっとこの子達と一緒に居なければ。
そしてこの子らにはママも絶対に必要なのだ。

それだけではない。私と家内が分かれれば、家内の両親兄弟は無論、私の母、兄弟にも迷惑が及ぶ。私の我侭で大勢の人に何らかの悪影響を齎す事は止めなければならない。

子供と映画を見ながらもずっとその事を考えていた。
如何したら彼女と別れられるだろうか?
自分からはとても別れられない程彼女を愛してしまっていた。
例え言葉で別れようと言っても直ぐに電話し元に戻ってしまいそうだった。

散々考えた末、彼女から嫌われる様にすれば、もし会いたくなって電話しても会ってはくれないだろう。
それには私の本意ではない嘘で醜い事を彼女に言わなければならない。
それも辛いが、一時の辛抱だしその他には良い方法が見付からなかった。

その時私が彼女と会って口にした事は今でもはっきりと覚えているが、とても辛くてここでの表現は避けたい。

その言葉を発した時、彼女は冷静さを誇示していたが内心は推測できる。それ以上に直ぐその場で自分の言った事は嘘だと撤回したい気持ちを抑えるのに必死だった。
これ以上彼女との交際を続ければ、もう引き返せない自分があったから、それ以上は引き伸ばせなかった。

辛く重い足取りで帰路についた。

無論その後も何度電話し本意を知ってほしいと思ったことか。

その後3年程して帰国する事になった。
帰国数日前まで何度電話しようかと思ったことか。
声を聞いたらまた辛くなるのに

帰国前日にこのまま帰国するのは忍びなく、とうとう電話を手にダイアルしてしまった。

久し振りの彼女の声は明るかったが心なしか冷えた様にも感じたのは気のせいだけではなかったろう。

今でも彼女を愛しているし会いたいとさえ思っている。
当時私は35歳で彼女は26歳だったから、今は既に50代半ばだろうが元気なのだろうか。

二度と会う事のないだろうA.B



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