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即興小説・晴野雨音はこもりがち

2024年08月30日 16:10

晴野雨音[はるの あまね]は雨女である。
 遠足運動会修学旅行、その他もろもろのイベントごとが行われるたび、雨が降るのである。小学生の頃、運動会のたびになぜか毎回雨が降るのを疑問に思った雨音は、5年生の運動会の朝、「おなかが痛い、とにかく痛い、めっぽう痛い」と母親に訴え、学校を休んだのである。いつもおとなしい娘が、気のふれたように腹の痛みを訴えるので、母親は驚いた。盲腸だろうか、はっ、もしや近所の悪い大人に知らぬ間にあんなことやこんなことをされ、妊娠でもしたのかもしれない。娘の雨音はおとなしいが、自分に似て可憐な顔の美少女だったから、そんな危険な目に遭った可能性は否定できない。

「あーんおなかいたいよー! いたみがとまらないよー! ママ、学校休んでい……?」

 今まで真面目に学校に通っていたから、必死に訴えれば、たとえ仮病でも母親は信じてくれて、休ませてくれるだろう。そう思って、病人演技を続けていた雨音だったが、母親が電話したのは学校ではなかった。救急車が家まで飛んできたと思ったら、救急隊員が家の中に土足でどかどかと入ってきて、たちまちのうちに雨音を担架に乗せ、病院まで運んでいった。

「わたしが!わたしが悪いんだわ!娘の異変に、気付いてやれなかった!いつも娘の側にいたのはわたしだったのに!母親失格だわ!」

「お母様落ちついてください!なにがあったのかはわかりませんが、わたしたちが来たからにはもう大丈夫ですから!」

 救急車の中で取り乱す母親に、たまらず救急隊員のひとりが声を掛けた。

「娘は妊娠したのよ!わたしに似て、とっても可愛いから、、、ああ、犯人が憎い、、、」

 母親の告白に、救急車内は異様な空気が充満する。運転手はアクセルブレーキを一瞬、踏み間違えそうになってしまった。アナウンスを入れるのも忘れて、信号無視して道路をぶっちぎってしまっていた。これが救急車でよかったと、運転手は思った。救急隊員も、なんて声を掛ければよいかわからなかったが、小学生女の子がこんな被害に遭うとは、なんとせちがらい世の中なんだろうと憤慨するのであった。

 一方の雨音も、妊娠? え? 誰が? え、わたし? と、あまりにも予想外の母親の言葉に頭が混乱していた。小学5年生の雨音でも、さすがにどうやったら子どもができるかくらいは把握しているが、そのための行為は少女漫画テレビドラマの中だけの出来事であり、自分にはまだ遠いものだったからだ。急に生々しい、あれやこれやが雨音の頭の中を駆け巡り、そうこうしているうちに、なんだか本当にお腹が痛くなってきた。お腹の奥の方がなんだか熱い、なんだこの痛みは? そうこうしてるうちに、雨音は本当に病人のようになり、いつのまにか気を失ってしまった。

 救急車が病院に着き、担架に乗った雨音が運び出されていく。
「えーと、晴野さんでしたね、……失礼ですが、お母様どこかでお会いしたことありますでしょうか?」
「やだあ!こんなときにナンパだなんて!」
 言葉と裏腹に、妙に嬉しそうな母親だった。
「いえいえ、何故か見覚えのあるお顔だと思いまして、もしかして以前、芸能活動などされていらしたのかと」
「あ、やっぱりわかっちゃいますう? 大原美空って知ってます?」
 娘が大変なことになっているというのに、たいそう嬉しそうな顔で母親救急隊員に微笑む。
「あっ、あの! わたし、子供の頃ファンでしたよ! どうりで見覚えがあると思ったんです。12年くらい前に、結婚された後すっぱり芸能界から引退されたと思ったら、まさかこんなところで会えるとはなー」
 雨音の母親は、彼女が生まれる前にアイドル活動をしていた。そこそこ人気があったらしい。人気はあったが、常識はなかった。


 夜。
 雨音の父親が家に帰ると、自宅の中が謎のお祝いムードになっていた。
「雨音! どうしたんだい? 顔が真っ赤じゃないか? 具合でも悪いのかい?」
 様子のおかしい娘を見て、不安になった父親はたまらず尋ねた。父親は、母親と違い常識的な人であった。
「今朝、おなかいたい、おなかいたい!って騒ぐから、慌てて病院に行ったんだど、、、そうしたら、ね」
 母親は、食卓にたんまりと炊いてある赤飯に視線を移し、それから夫に向かってウィンクした。
 雨音は、今夜のごちそうに箸を付けるどころではなく、うつむきかげんで病院からもらった小冊子に目を通しているのだった。
 ご飯も雨音の顔も、見事な赤い色であった。


 この年の運動会に無断欠席して学校から怒られたので、翌年の6年生の運動会には出席する雨音だったが、やはり雨が降るのだった。これからの運動会は欠席しようと決意する雨音だった。

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