- 名前
- 埋葬虫
- 性別
- ♂
- 年齢
- 54歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- ひさしぶりに書き直してみたぞ。うっひゃっひゃ
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
ハナタラシ
2007年04月21日 22:31
(ヤマンタカアイ、彼はいま山塚アイにもどったんだっけ。)
親、周囲に去勢をうけ、その復讐をとげ、ろ。
駅で、ドーナツを片手にジャケットをひきづりながら必死で母親においつこうとしてる男児をみる。「おかあさんこれたべるからまってて」と涙目で必死でうったえる。母親:「は?たべればいいじゃん」
「そこはだめだって」気弱な小太りの親父。5歳くらいの子供いわく;「うるせえあっちいけお父さん」親父、沈黙。
子供の精神に伝染してゆく凶暴性。こわい映画。題名わすれた。子供が、親をふくめ、天使の微笑みをうかべながら、「オトナ」を殺戮してゆく。その裏には、オトナの解釈での「復讐」。しかし、おそらくは監督が意図せぬおぞましさが、映画には充満しておった。
「われわれは、人生の前半は親によって台無しにされ、後半は子供によって台無しにされる」(アメリカのとある判事の「至言」)....ここまで謂いきれる、絶望を、彼は見てきたのである。(...アメリカだしな....)
俺は、親のいない子供になりたいのである。まじで、なりたいのである。
俺は田舎そだちであり、十全なる自然がその原体験のコアにある。生物はすべてがその本質において死と狂気に隣接してる事。ある非常に微妙なパズルが、不安定な均衡を維持している事。山の「緑」は、かつては簡単に理解された何かを、その詳細を、その内によみとき、いいようもなく自然に参入しているという諦念を観じる事が、精神の成熟という事の一部であった。神道的な観念なのだろうか。
その諦観と十全への帰依が消失してひさしい。俺は別な事に熱中しはじめたのだが、まあタ、イ、ク、ツなんで別んとこで書くかな。
このデジログへのコメント
ウェブ探してみた。あった。「子供 殺戮 映画」でサーチすると「バトルロワイヤル」ばかり。次の日記にて
コメントを書く