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議論の手法

2012年09月24日 04:07

議論の手法

理屈の基本を学ぶには、その人の人生の運不運、社会に出てから特に、
はあるんだろうね。

まず快不快、怒り、喜び等等といった感情から、脳内シナプス結合という
その人独自の連想回路を通って、「じゃあ、なんて言うか? どうするか?」
を決めるんだが、たとえば公(おおやけ)の場で「俺が嫌いだから嫌い。俺が
不愉快だから、それ、まちがっている」なんて言う人は希だろう。
というか、それ以前に、医者に行っているはずだ。

次に自分の理屈をもっともらしくするために使うのが、「すべての」「多くの」
「ほとんどの」といった、不特定多数の人間を巻き込んだ自己主張。本当は
「俺の」「わたしの」意見では、となるところを、論争モードになると、自分の意見
正当化したい欲望が働いて、まさしくバルーンに空気を吹き込むように、
自分と、自分の主張を大きく見せたいんだね。

これは、ホントに・・・日常的に使われる手法なので、頭の片隅に入れておくと
役に立つと思うよ? 大学生レベルでも、まともなやつは「すべてと言うけれど、
どこの誰がそれを言ったか? 賛成したのか? まず、リストをくれよ!」なんて
言うよね。これ、普通の知性。

人は個人の、それぞれが持つ脳(=意識)から逃げられない。その人の脳が認識した現実
なり、真理なりが、その脳にとっては現実なんだろう。

ちなみに、「すべての」と、個人が臆面もなく言えるようになったのは、イデオロギーの発生
からだな。個人が安全に守られた、近代からだ。西洋イスラム圏なんかは、一神教の関
係もあり、特に西洋側はめちゃくちゃをしているんだが、めちゃくちゃをして、散々な目に
遭った歴史もあり、哲学宗教学すら変わった。

迂遠な話になってしまったが、「すべての」を意味する「君は皆に問題視されている」とか「嫌われ
ている」という攻撃が公平なものではないと思ったら、まず、「それはあなたの意見?」とはじめ
て、「どこの誰が? リストあるんですか?」くらいは戦った方がいいぞ。

相手は、「ALL」という言葉を使えば、しゅんとなるとまず考えているだろうから。俺の言ったこと
を逆にたどって、「卑怯者!」「くず!」でやっちまえ。いいんだ、やっちまって。男女ともに、
臆病でビクビク生きている人々だから。

次回は、不利になったら、話題を変える相手に対する話を。いつになるかな・・・。

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