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他者の評価が絶対、正しい

2012年09月12日 01:37

他者の評価が絶対、正しい

と言うくらいの覚悟がなければ、クリエイターとして、自立し、収入を得ること
など、ほぼ不可能だろう。

自分が生み出した作品なり、創造物は、主観的なもの。自分の作品を自分で
必死に弁護しても、自分の脳内で完結する思い込みである。それは、他者を
限りなくウンザリさせる。

実は、昔、何度か「いろいろと教えてくれませんか」と原稿を持ち込まれたこと
がある。「それはきっちりした編集に持ち込めよ」と言ったんだが、「どうしても
あなたに」と。普段、つき合っている時に、趣味・嗜好が似ていたんで、激賞して
くれると思ったんだろうな。

しぶしぶ読んだ。案の定、章を読むたびに「ここはこういう意図で・・・」と自分の作
品の解説をはじめる。案の定と言ったのは、その人間が作品だけで勝負する
タイプの人間ではなかったからだ。というか、圧倒的にそういうタイプの人間の
方が多い。しゃべって、演説して、自分の意図が説明できるなら、何も文字にする
必要ないだろ? 

その奥に複雑なものがあるから、文字にして、一歩一歩考えながら、文章表現を
していくわけだろう。主観的には自信作だったようだが、最悪だった。半分ほどで、
忙しいんで、で止めた。後に、とある馬鹿なフリー編集者に、彼と俺とは近親憎悪
とか言われたが、とんでもない話。クリエイターとして、成り立つかどうかの違いな
んだが、わからない人もいるようだ。

ピカソでもゴッホでもドストエフスキーでも現代の日本の作家でもよいが、あらゆる
作品は、創作者の主観的なものなんだ。主観的なモノというのは、他者によって、
客観的に評価されて、はじめて命を吹き込まれる。それ以前の段階は、ただ絵の具
塗りたくりだったり、文字の羅列だからね。

だから、命が吹き込まれる過程でズルして、しゃべくりと自己弁護で、評価されようと
する人間は大切なモノを失っているのだ。才能がない人間が努力する? ああ、その
通り。黙って、他者の評価に堪えながら、努力するんだね。作品というのは、主観
産物なので、言いたいことはあるだろう。アピールしたいこともあるだろう。しかし、
まず、他者の評価を受け入れることだ。その上で悔しかったり、反省したり。それは
作品に反映すればよいことだ。

さもないと、自分が評価されないのは、ぜんぶ世の中のせいになってしまうぞ? これ
クリエイターの死、と同義。
クリエイターとしては、俺は200歳まで生きようと思っているんで(笑)、死にたくねえな。

まあ、ともあれ、何かをつくる人は自分で自分を弁護したら、だめなのよ。陶芸教室の
ロクロ回しに失敗して、なんだかわからんへんてこなものができるように、自我がねじ
曲がったへんてこなものになってしまう。

気をつけて(→to me and others)。

このデジログへのコメント

  • 才谷涼太 2012年09月24日 17:22

    > 美樹雪子さん

    では授業料ください。冗談です(笑)。自分への戒めとして書いたものなので、お役にたてれば嬉しいです。

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