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いい話…洞爺丸
2011年11月08日 17:58
【洞爺丸】
1954年(昭和29年)
9月26日の夕刻から夜にかけて大型の台風15号が北海道を襲った。
当時の青函連絡船「洞爺丸」は、最新鋭連絡船で、
スマートで美しい船体をしていたので「海峡の女王」と呼ばれていたそうですが、
その洞爺丸が大型の台風が近づく函館港を出港、
青森へ向かおうとしていた。
当時は今と違って気象衛星などなく、観測体制は不十分であった。
このため、北海道に接近しつつあった台風の位置、大きさ、速度を正確に知ることはできなかった。
そのため、船長は判断を誤り、洞爺丸を出航させてしまった。
風速五十メートルを超える暴風と高さ十メートル近い荒波に翻弄され、洞爺丸は座礁転覆してしまった。
この海難事故で亡くなった死者の数は1155人、助かった人はわずか160名ほどで、
あの「タイタニック号」に次ぐ、海難史上2番目といわれるほどの大惨事になったのです。
その船客の中に、アメリカから日本へ伝道のために来ていた宣教者ディーン・リーパーさん(33)と、
カナダから日本に来ていた宣教者のアルフレッド・ラッセル・ストーンさん(55)がいた。
午後10時半頃、船内放送で乗客全員に救命胴衣の着用指令が出されると、乗客はパニックに襲われた。
二人はあわてたり、泣き叫んだりする乗客をなだめながら、
励ましつつ救命胴衣の着用の手助けをしたという。
そうした中で、自分の救命胴衣の紐が切れて、
着けられなくなって泣き出していた一人の少女を見たリーパーさんは、
急いで自分の身に着けていた救命胴衣を外しながら、
冷静沈着に
「私よりもあなたの方が若い。
これは、あなたが着けるべきです。
私は泳ぎも出来るし、安心しなさい・・・・」
と、手早く、その少女に救命胴衣を着けさせた。
またストーンさんも同じ様に救命胴衣を青年に譲っています。
事故から数日後、宣教師から救命胴衣をもらったという青年と少女が現れて証言しています。
驚くべきことにストーンさんがまったく泳げなかったことを、
その後に来日した息子さんが語っています。
ストーンさんは大正15年に来日し、昭和初期、野尻湖畔を拠点に、
布教だけではなく、貧しい人たちのために、
農村更正と農業改良運動に寝食を忘れて働いたのです。
現在トウモロコシやトマトが町の主な作物となっている背景には、
こうしたストーンさんの働きがあったという。
息子さんは
「生前、困っている人がいれば必ず助けた父だった。
船内で父がしたことは少しも驚かないし、
父を誇りに思っています」
と取材にあたった新聞記者に語っている。
この二人の外国人の愛の行為は、
多くの人々に深い感動を呼びました。
自分の命をかけてまで、困っている人を助ける。
誰かのために・・・。
深い愛です。
感動した(*^^*)
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