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”そこに山があるから”

2008年03月21日 02:45

”そこに山があるから”

この言葉は1924年シェルパのアーヴィンと共にエベレスト初登頂に挑戦して帰らぬ人になった登山家ジョージマロニーが1923年に
ニューヨークタイムズの”なぜあなたはエベレストに登るのか”という
インタビューに対して答えた言葉として登山家の間ではあまりにも有名で、私が好きな言葉の一つです。

世界最高峰として名高いエベレストチョモランマ)は
1953年5月、登山家エドモンド・ヒラリーシェルパテンジン・ノルゲイが史上初のエベレスト登頂に成功した事は有名ですが、
1924年のマローニとアーヴィンのエベレスト登頂に関しては未だ、多くの謎に包まれています。
1924年6月8日イギリス第三次エベレスト遠征で、
第二次アタック隊としてマロリーとアーヴィンがチベット
から頂上に向かった。
途中第セカンドステップと呼ばれる切り立った岩壁の難所を
登るところまではN・オデル目撃されていたが、
その後行方不明となる。目撃されたのは本当に人影かどうかは定かではなく、見たという位置もファーストステップ、セカンドステップと時期によって供述が違う。第三次アタック隊がマロリーの登頂に懐疑的な立場を取ったため、マロリーらが登頂を果たしたかどうかはエベレスト登山史上最大の謎となった。

ヒラリーとテンジンの登頂成功後、幾度となくマロニー
アーヴィンの捜索隊が結成され、ついに1999年5月1日
についにアメリカの捜索隊によってマロニー遺体
標高8,160m付近でうつ伏せのままガレキに体の一部が
埋まった状態で発見される。
この時、彼が登山時に携帯していたコダックカメラ
(Vest Pocket Model B)の有無が注目された。マロリーは登頂の証明として必ず写真を撮っており、さらにコダック社が
エベレストならば何十年経とうと現像は可能」と断言していたからだ。遺留品の中にカメラはなく、マロリーが登頂を果たしたかどうかは未だ謎のままである。マロリー
「頂上に置いてくる」と言った奥さん写真遺留品の中に
見つからなかったことからマロリーは登頂に成功したと
唱える説もある。 8,570m地点においてマロリーと共に頂上に
向かったアーヴィンのピッケルが発見されていた事から、
アーヴィンとマロリーは登頂を果たしたが、下山中に何らかの不具合が起き、死亡したという説も新たに出てましたが、
当時、マロニーらが辿った登山ルートの困難さから”登頂は
失敗した”というのが通説となっています。

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