- 名前
- あおい
- 性別
- ♀
- 年齢
- 39歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- あおいもバツイチになってしまったの。4年ぶりに再登場よ。 誰かお相手してくださいな。。
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あおいさんの04月のウラログ一覧
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2016年04月30日 07:32
常陸太田市の 「山吹の里」と呼ばれていたこの坂あたりのだんご屋に毎日、日暮れになるとやつれた女がだんごを買いに来た。ある日、だんご屋のあるじはこの女の後をつけて行くと寺が並んでいる寂しい所あたり... 続きを読む
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2016年04月29日 07:13
ダイダラボッチという大男がいました。大きな体ですが、子どもっぽいユーモラスな、心やさしい男でした。 ダイダラボッチは、村の人たちが洪水を防ぐため堤を作っているのを見て、その手伝いをしようと思いた... 続きを読む
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2016年04月28日 07:04
ある日、父親がこう言い出したのです。「石倉があればいいな。石倉の中で機織りをさせとけば、誰も近づけねえからな。」 しかし、石倉を作るのは大変お金のかかることで、簡単に出来ることではありません。両... 続きを読む
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2016年04月27日 06:57
むかし、西塩子村(今の常陸大宮市西塩子)の、一軒の農家に美しい娘がいました。気立てもやさしく、働き者だったので、村の若者たちの間で大変評判になっていました。若者の中には、昼となく夜となく娘の家に... 続きを読む
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2016年04月26日 07:31
地元の伝承によると、事の起こりは、戦国時代から江戸時代への時代の変わり目であった時に実施された、年貢の取立てにありました。年貢取立ての役人が来たので、いわれるままに完納しました。するとまもなく別... 続きを読む
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2016年04月25日 06:48
青の世界が美しすぎる!ひたち海浜公園のネモフィラは死ぬまでに1度は行きたい観光スポット。 とにかく美しすぎたひたち海浜公園のネモフィラ。ちょうど見ごろになってきました。 丘一面にネモフィラが広が... 続きを読む
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2016年04月24日 08:10
これは 大助(おおすけ)人形 と言って、 子どもの健康祈願や厄除けのために作られた人形です 平安時代末期に、奥州平定に行った、八幡太郎義家を手助けするために、弟の新羅三郎義光が馳せ参上し、手助け... 続きを読む
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2016年04月23日 06:35
「類(たぐい)まれなるまだら石 磨けば光る いや優る」と、常陸太田市の小学校の校歌にも謡われていた「まだら石」。 笹目、ぼたん、もみじなどの紋様で有名な「まだら石(町屋石)」は、かんらん岩が水の... 続きを読む
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2016年04月22日 05:49
「常陸国風土記」久慈郡の条に、薩都(常陸太田市里野宮)からみて東の大きな山を「賀毘礼(かびれ)の高峰」と呼んでいるとあります。 この地に悪さをして村人を困らせる立速男命(たちはやをのみこと)とい... 続きを読む
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2016年04月21日 07:07
御岩山は、神々が棲むと言われる常陸国最古の霊山です。 約1300年前に書かれた「常陸国風土記」にも記載されるほど、古くから信仰があり、代々の水戸藩主が参拝を常例する常陸国最古の霊山です。 神々が... 続きを読む
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2016年04月20日 06:41
7000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成しました。その接合面が中央構造線です。 1500万年... 続きを読む
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2016年04月19日 08:11
真弓山は常陸太田市の北東部、真弓町にある標高約二八〇メートルの山で、山頂に真弓神社があります。 むかし、奥州征伐に向かう源頼義・義家父子が、この山にしばらく籠もり、戦勝祈願をしたことから「陣ケ峰... 続きを読む
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2016年04月18日 07:24
現在から2300年余りもさかのぼるといわれる納豆の歴史。関東以北では武士の棟梁・八幡太郎義家の伝説が数多く残っています。 永和3年(1083)、奥州平定に向かう八幡太郎(源)義家の軍勢が常陸国で... 続きを読む
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2016年04月17日 06:43
伊達正宗の兜の前立ては三日月であることはよく知られていますね。 では、佐竹氏は何でしょうか。これがなんと毛虫なのですよ。毛虫といっても生きている毛虫ではありませんが、熊の毛をあしらったものなので... 続きを読む
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2016年04月16日 07:23
秋田県の地域特産品として有名な物に、”稲庭うどん”があります。 香川県の”讃岐うどん”、群馬県の”水沢うどん”と共に日本三大うどんに数えられています。 稲庭うどんの里、秋田県稲川町は清らかな伏流... 続きを読む
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2016年04月15日 08:01
戦国大名の経済的基盤の一つとなったのは,鉱山開発でした。佐竹氏も同様で積極的に金山開発を行いました。現在でも茨城県内にはいくつかの金山跡や坑道跡,鉱山道具が残っています。『新編常陸国誌』によると... 続きを読む
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2016年04月14日 07:43
秋田県と茨城県との結びつきは深く、元は常陸国の守護大名だった佐竹氏が、関が原の戦いで中立の立場を取ったため、家康の嫌疑をかって国替えとなり、江戸300年の秋田佐竹藩になったのです。 その時、殿様... 続きを読む
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2016年04月13日 07:47
佐竹氏の家祖、新羅三郎義光(源義光)は、陸奥守鎮守府将軍として前九年の役を戦い、その武勇を天下に知られた源頼義の三男です。 つまり佐竹氏は清和源氏の血を引く、素性が確かな由緒正しい名門中の名門で... 続きを読む
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2016年04月12日 08:56
テレビの水戸黄門像は、初代の西村晃や東野英二郎のイメージが強いですね。どちらも小柄ですが、実際の水戸黄門は、身長は180センチもあり美形であったということですから、石坂浩二や里美浩太郎の方が実物... 続きを読む
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2016年04月11日 08:14
西山荘御殿の茅葺屋根に植えられている ”いちはつ” も生き生きと、輝いているように見えます ”いちはつ” は、別名 しばきり ともいいます。 これは、助さんが、大日本史編纂のために、日本全国を歩... 続きを読む
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2016年04月10日 06:28
西山荘の茅葺の屋根には、ある植物が生えています。 さた、これはなんでしょうか。6月には、紫の花が咲きます。 これは、"いちはつ"といって、アヤメ科の植物なのです。 またまた質問です。 では、なぜ... 続きを読む
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2016年04月09日 06:19
常陸太田のちまきは徳川光圀の侍臣、助さんが、大日本史編纂の資料集めのため、新潟に出かけたおり、越後の国のみやげとして光圀に献上したと言われています。 粳米(うるちまい)を使い、中にこしあんが入っ... 続きを読む
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2016年04月08日 07:54
笹団子(ささだんご)は、新潟県特産の餡の入った団子を数枚のササの葉でくるみ、スゲまたはイグサの紐で両端を絞り、中央で結んで蒸した和菓子です。 ササには殺菌効果があり、北越風土記によれば戦国時代に... 続きを読む
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2016年04月07日 08:56
今日は荘内にたくさん生えている クマザサ を見てみましょう 青々としげっていますよ。 クマザサには抗菌作用があり 西山荘がある常陸太田の名物でもある ちまき を巻くのにも使われる葉っぱです。 こ... 続きを読む
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2016年04月06日 05:59
あのご老公の杖は、放送開始からずーっと同じ形のものです。 ご隠居のトレードマーク的なものですよね。 立ち回りなどで傷ついたりするので予備も含め3本程用意されているそうです。 西山荘でとれる亀甲竹... 続きを読む
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2016年04月05日 08:17
西山荘の入り口に、「下乗」の看板が設置してあります。 「げじょう」と読みます。「これより先は神域なので乗り物から下りて入りなさい。乗り物から下りなさい。乗り物に乗ったまま入ってはいけません」とい... 続きを読む
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2016年04月04日 06:06
光圀公は元禄3年(1690)10月、63歳の時に、 兄頼重の子綱條(つなえだ)に家督を譲り、翌4年5月9日に西山荘に隠居されました。 太田の西山(にしやま)に建てられたので西山荘と名付けられまし... 続きを読む
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2016年04月03日 09:57
テレビドラマなどでもお馴染み水戸黄門こと徳川光圀が助さん格さんほかお供の者を引き連れてお忍びの諸国漫遊に出て、旅先で悪代官などを倒していく、という多くの人が知る水戸黄門漫遊物語は、実は成立がはっ... 続きを読む
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2016年04月02日 10:23
勾玉はいつの時代のもの? 古墳時代(3世紀)から権力の象徴や、護符として使われてきました。 使われ始め日本に仏教が伝わり浸透していくと並行してつかわれなくなってきました。 勾玉は日本だけのもの?... 続きを読む
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2016年04月01日 08:17
常陸大宮市では瑪瑙が産出します。8世紀に書かれた「常陸風土記」には瑪瑙の記述があり、玉川で採れる赤色の瑪瑙は「玉川石」と呼ばれていました。 瑪瑙と玉髄は石英の細かい結晶が集まってできた鉱物で、縞... 続きを読む